生きる意味について (3)

  あるいは彼はふと、少し日常的な次元から抜け出して、もっと根源的な、存在そのものについての哲学的な問いかけ、例えば、この世界はなぜ今ここに存在しないのではなく存在しているのか、あるいはまた、なぜ自分は今ここに存在しないのではなく存在しているのか、といったような問いかけを始めるかもしれません。
  そして、このような問いかけに対して、あるいは彼は、さまざまな宇宙物理学的な法則や、生物学的な理由や原因を数えあげてみるかもしれません。しかしながら、この新しい哲学的な問いかけに対してもやはりいつまでも納得のいく答えは見つかりそうにありません。
  とはいいながらも、この新たな問いかけの中には、どこか不思議な、ほとんど神秘的とでもいっていいほどの感覚が伴います。そして、やがて彼は、自分の生や死をもはるかに超えて存在するこの無限大の宇宙そのものに圧倒されて思考停止状態に陥るかもしれません。しかし、その思考停止状態には虚しい感覚はなく、むしろ、どこか懐かしいような、ほとんど神聖な感覚が潜んでいるのに気付くのではないでしょうか。自分のいのちをも包み込んで無限に広がるこの宇宙に意味のないはずはなく、その宇宙に生きている自分のいのちにも意味がないはずはないと思われてきます。ただその理由が今の自分に分からないだけで、どこかにきっとその真実に溢れた理由があるはずだと考えます。そして、彼はしばらくのあいだ人生の無意味感から解放されて無限大の神秘的な聖なる感覚に浸されるかもしれません。
  しかしながら、その状態も長くは続かず、やがて彼はふたたび、この宇宙の存在そのものに対してすらも疑念を抱き始め、そしてある日ふと恐ろしいほどの虚無感に襲われ、さらには底なしの虚脱感に陥ることになるかもしれません。また、彼はもはやこの虚脱感から抜け出せそうにもないような気すらして絶望的になるかもしれません。
  はたして彼はいつの日にかこの危機的な意識状態から抜け出すことができるのでしょうか。彼にはこの宇宙の存在そのものに対する無意味感から抜け出す手立てはどこにもないような気がしてきます。そして、そんな無意味な宇宙の中に生きている自分の人生そのものの無意味さに対するたまらないような感覚からも抜け出せそうにないのです......

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック