平等について

  人間の平等といっても決して平等にならない部分があります。それは自然的な部分です。例えば、身体的特性つまり容姿とか身長とか運動能力とか、さらには大脳の機能など、自然に大きくかかわる遺伝的な部分です。
  一方、人為的な部分、例えば、人間の基本的な権利義務や社会のシステムなどは、平等にしようと思えばできる部分です。ユートピアでは、その人為的な部分を平等にすることによって、人類全体としての幸福度を高めようとするのです。ですから、社会がユートピア化しても、自然的な部分における不公平感は残ります。ある人は他の人より異性の関心をより惹きつけるでしょうし、また、ある人は、スポーツや芸術の分野においてより才能を発揮するでしょう。そのような自然に根ざす差異についてはそれをそのまま受け入れるほかありません。しかし、考えてみれば、すべてに抜きん出ているような人はこの世に存在しません。それぞれがそれぞれの得手、不得手を持っています。案外それでバランスが取れているのかもしれません。
  しかし、人為的な、基本的人権や社会システムのあり方などは本来、平等であるべきなのです。それが、これまでの歴史的変遷の中で大きく歪んでしまいました。そして、その歪みから、現代のさまざまな社会問題が生じているのです。このような問題を根本的に解消するために、本来あるべき、絶対平等的な権利義務に基づく社会システムを築いていかなければならないのです。

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この記事へのコメント

eiji
2006年03月07日 23:39
人間に能力の違いがあるのは避けられません。能力の違いは、競争社会(エゴの社会)の中では大きなハンデとなって現れます。つまり人間のエゴが単なる違いに優劣を決め、ハンデを生み出し、結果として不平等と呼ばれる状態を生み出しているのですから、システムを変えたところで人間にエゴが残っている以上不平等は存在し続けるのです。問題はシステムではなく人間の在り方ではないでしょうか。
 なぜなら本来は平等も不平等もないのですから。

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