聖性と精神とユートピア

  究極において、この世の本質の本質である至聖のエネルギーと、このわたしたちの具体的な実存との間にはいかなる間隙もありません。このわたしたちの実存がそのまま至聖のエネルギーであり、また、至聖のエネルギーがそのままわたしたちのこの具体的な実存なのです。
  そして、わたしたちは人間の内なる最高本質である精神においてようやくその端的な事実を知るに至ります。すなわち、わたしたちは精神においてのみこの世の聖性と自らの実存の聖性に気付くことができるのです。その時、それぞれの生身の実存がこの世の聖なる全一世界の一部に他ならず、また、この世には本質的に聖ならざる何ものも存在し得ないことに気付きます。それと同時に、わたしたちは自らの精神において、全一的な聖性の充満する法界それ自体と一体化するに至るのです。
  しかし、反面、その聖性の気付きに反照されてより一層それが際立つかのように、現代世界の聖性からの離脱の甚だしさに驚かされると共に、人間の精神的荒廃の甚だしさにも又驚かされるのです。そしてまた、聖性を見失い、精神的に荒廃したわたしたち現代人が、今や著しく発達した科学技術をその手にし、それを自らの欲望の趣くままに利用している放漫な現実をも見ます。聖性を見失った節度無き心が生み出すものは危うく、実際、今わたしたちが眼にしている世界の状態は自然環境の荒廃であり、社会環境の荒廃であり、精神環境の荒廃なのです。
  このような現状を目にする時、この世の本質的な聖性と一体化した精神は自ずから、この荒廃した人間世界を今一度その本来あるべき全一調和的な状態に引き戻したいと願います。そして、その心の底から湧き上がる強い願いが、いつ終わるともしれない永遠のユートピア運動へと駆り立てるのです。




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック