わたしたちのいのちのすべてを負っている永遠本質の前に恥ずかしくない議論をしよう


  わたしたちは皆、このいのち及びこのいのちの糧のすべてを大自然の永遠本質に負っています。そもそもこの永遠本質がなければ、わたしたちの存在そのものも在り得なかったのです。わたしたちは、そのようなわたしたちのいのちにとって絶対的な意味と価値を持っている永遠本質に対しては間違っても逆らったり、それをなおざりにしたりしてはならないのです。況してや、それを汚したり、損なったりするなどはもっての外の所業です。しかし、まさにそのような所業を、現代の資本主義世界はその成立以来ずっと日常的に行なってきたのです。そして、それはテクノロジーの発達と共にさらに加速され、今では自らの滅亡をすら間近に招き寄せている始末なのです。
  本質主義者は、このような、専ら貨幣資本の論理によって競争的に蠢いている現代資本主義世界の足元から、この世の本質そのものの論理によって構築されていく本質主義社会を立ち上げようとします。そして、そのようにして立ち上げられた本質主義社会では、貨幣が力を振るうことはなく、逆に貨幣が振るう力は野蛮な反知性の象徴と看做されて軽蔑の対象となってしまいます。価値観がまったく逆転するのです。そのような貨幣に取って代わって優先価値を与えられるのは本質的な知恵であり、公正さであり、人を無差別、無償の活動へと導く高い精神性なのです。
  さて、このように、本質主義者の論理と資本主義者の論理とは真っ向から対立します。本質主義者は、専ら人間の利己主義に立脚した資本主義の論理はこの世の永遠本質の前に恥ずべき論理だと考えます。そして、そのような論理は速やかに破棄し、それをより本質的に価値のある論理に替えるべきだと考えるのです。本質主義者の目に資本主義者の論理は知的に余りに野蛮であると見えます。そして、資本主義世界もまた知的に余りに野蛮な世界だと考えるのです。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

http://www.fetang.com/
2013年08月01日 21:25
突然訪問します失礼しました。あなたのブログはとてもすばらしいです、本当に感心しました!

この記事へのトラックバック