No.1003  欲望の文明と知恵の文明


  欲望の文明の行き着く先の姿をわたしたちは今、自らの眼で確かめようとしています。すなわち、いのちの本質活動にとって大切なもののことごとくが汚され、損なわれて、今や皮肉なことにはそれらがいのちの本質活動にとってもっとも危険なものに成り変ってしまっているのです。また、社会的にも、世界中のいたるところで人と人との間に不協和音が鳴り響いています。限度を知らない欲望の文明はこの世の永遠本質である全一調和状態を徹底的に破壊しつくすのです。まさに人間の欲望は反本質の極みであり、愚かさの極みです。そして、そのような欲望を中心とした現代文明を生み出した者たちは、まったくホモ・サピエンス(wise man)の名に値しません。
  ところで、欲望の文明の対極にある文明とはどのようなものなのでしょうか。それは、本質的な叡智による知恵の文明ではないでしょうか。そして、それは欲望の文明がいのちの本質を徹底的に破壊するのに対して、いのちの本質をより豊かにし、また、人間の内なる最高本質である精神性を限りなく高めていきます。そして、その先には本質に満ち溢れた完全調和世界すなわちユートピアがあるのです。
  また、そのユートピアには、欲望の文明と知恵の文明とのちょうど中間に位置する天然自然との深い調和も見ることが出来ます。すなわち、人間のユートピア社会を、汚れのない自然の美しい情景、例えば、野に咲く花々や、森や林でさえずる小鳥の声や、清流を泳ぐ魚の姿や、また、いたるところで昆虫や小動物たちが思い思いの生の営みを繰り広げている情景が包み込んでいるのです。そして、ユートピアの人々は、そのような天然のままの自然と一体となって、自らのいのちの本質を、今ここに生き、また、生かされていることの純粋な悦びとともに、そしてまた、それぞれが同時代を生きる人々との調和の中で自由に転じていくのです。
  このような知恵の文明の先に開かれていくユートピアとそれを包み込む汚れのない自然の情景こそが、わたしたちホモ・サピエンスが追い求めるべき世界であり、情景なのです。

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