No.3571 聖なる精神エネルギーとエゴイズムとサイコパス




  この世の根源的実体にして絶対的本質でもある 『 聖なる精神エネルギー 』 が内包する三つの要素を、その単語ごとに分けて考えてみれば、まず、最初の 『 聖なる 』 に関して、なぜこの語が修飾する精神エネルギーが聖なるでなければならないのかと言えば、そもそも、それが修飾する精神エネルギーなくしてはこの世に存在しているすべての存在そのものがこの世に存在し得ないからであり、それ故、われわれ人間をも含めたこの世のあらゆる存在にとって、この世の根源的実体にして絶対的本質でもある精神エネルギーは、至高至善にして欠くべからざる絶対的な価値を持つ特別な存在であるからである。 それ故、この聖なるという語は、この世の存在と本質( 根源的実体 )との間に内在する忘却すべからざる関係性を表す本質的修飾語として働いているということができる。
  また、次に、 『 精神エネルギー 』 の 『 精神 』 についてであるが、あらゆる存在に内在する全一統合機能である精神は、この世の根源的な実体にして絶対的な本質でもある純粋エネルギーにとってもまた、それなくしては自らがエネルギーとして存在し得ない根本的な性質 ( エネルギーが本来具有している不可分離の属性 ) として内在し、エネルギーがエネルギーであるために欠かすことのできない本質的な機能として不断に働いているが故に、この語もまたエネルギーと切り離すことができないのである。
  そして、最後の 『 エネルギー 』 についてであるが、これこそがこの世の根源的な実体の実体であり、この世の絶対的な本質の本質でもある永遠・無限・神秘の究極存在そのものに他ならないのである。 そして、この究極的な存在である純粋エネルギーを中心に、聖性と精神性が三位一体となって この世のあらゆる現象として、この世の隅々に至るまで全一統合的に現出しているのである。
  ところで、諸刃の剣である知性を持つに至った人間世界において、この聖なる精神エネルギーの聖性が忘れられた時に、大自然との本質的関係性を無視したエゴイズムが生じ、さらには、精神性が損なわれた時に、精神に異常をきたしたエゴイスティックなサイコパスが生まれる。 そして、このような聖性の忘却と精神性の損壊からあらゆる社会的な問題と禍が人の世に生じるのである。 それ故、われわれは、現代のような問題と禍だらけの愚かしい時代状況から抜け出すためにも、諸刃の剣である知性を正しい教育や公正な社会システム等によって本質的にコントロールしていくことによって、この世の聖性を忘れることもなく、また、みずからの精神性を損なうこともない、大自然の法則におのずから遵う人間たちによる本質的共生世界を自由かつ創造的に築き上げていく必要があるのである。


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