No.3600 日常のPLEROMA 7月



     2003.07.01



  世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来するものである。善き意志も、もし明識(めいしき)がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる。 …ありうるかぎりの明識なくしては、真の善良さも美しい愛も存在しない。

  しかし人々はまた依然として個人的な関心事を第一列に置いていた。誰もまだ病疫を真実には認めていなかったのである。

  そして絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。

    カミュ 『 ペスト 』より



  それは自然がすべてで人間は無だということである。したがって教養のない人の人生観にも――ヨーロッパ人の東奔西走の逆上と空虚とをするどく感じさせるあるものが織り込まれる。地球上の一角では自然がまったく失せて、人間がすべてであるということは何か不自然なことに思われる。
    
 シュヴァイツェル 『 水と原生林のはざまで 』より



  ユートピアは住民の精神性の向上を前提とする。それゆえ、ユートピア運動は現実社会の終わることのない構造的な改善・改革運動であり、同時にそれは、住民の精神性の終わることのない向上運動でもある。住民の高い精神性と、社会の公平なシステムとが相(あい)まって、この世にユートピアが誕生する。そして、精神と社会システムに通底(つうてい)する律(りつ)は全一性である。全一性(ぜんいつせい)の自覚と実行においてのみ、人は心に巣食(すく)ったそれぞれの部分性の呪縛(利己主義)から解放されて真の自己を実存するに至り、社会は平等公平なシステムを構築するに至る。



  まことにもっともな理由から、改革する興味のあるごくわずかなものをのぞいては、各世代は自分に用意されている生活を、確定し動かせぬものとみなすものです。これは便利な考えだが、間違っている。この世は刻一刻、そしてまたあらゆる方向に、しかも任意(にんい)の方向に向かって、変えれば変えられ得るものですからね。 …そんな確定した世界の中の、確定した人間のような行動をとらずに、変えるために創られた世界に取り囲まれている、変えるために生まれついた人間のように、――いわば雲中(うんちゅう)の水滴のように――行動をとるならば、それは独自な生き方ともなろうじゃありませんか。

  それは『全体把握(ぜんたいはあく)』であり、しかも風が遠くから便りを運んでくる時のような、ただそんなものでもまたあったのである。そしてこの便りの来方(きかた)は、真(しん)でもなく偽(ぎ)でもなく、合理的でも不合理的でもなく、まるで静かな幸福の誇張(こちょう)が彼の胸にふりかかったかのように、彼をとらえるのであった。

  ユートピアとはほぼ可能性と同意義のものだ。可能性は現実ではないということは、可能性が現在それに絡(から)みこまれているいろいろな事情のために、可能性が現実になることをさまたげられているということを、ただ表現しているにすぎぬのだ。なぜなら、もしそうでないとすれば、可能性とはただ不可能性と同じことになるのだから。可能性をその束縛(そくばく)から解放して、可能性に発展を与えれば、ユートピアが生れる。 

   ムシル 『 特性のない男 』より



     2003.07.02



  私の生涯の目的は、神に近づくこと、つまり私自身に近づくことである。

  私の知っている何人かのペルシャ人やヒンズー人やアラブ人について考え、彼らの性格や資質(ししつ)、優雅さ、聡明(そうめい)さ、高潔(こうけつ)さを思いあわせてみるとき、私は堕落(だらく)したイギリス人や強情(ごうじょう)なドイツ人や狡猾(こうかつ)で独善的(どくぜんてき)なフランス人など、世界の征服者である白人に、はげしい侮蔑感(ぶべつかん)をおぼえた。そもそも地球は、一個の大きな有情(うじょう)の存在であり、人間の飽充(ほうじゅう)した天体であり、ためらいながら訥々(とつとつ)として自己を表現する生きた天体なのだ。それは、白色人種の住家でもなく、黒色人種、あるいは黄色人種、あるいは所属不明の灰色人種の住家でもなくて、人間の住家なのである。 

  ヘンリ・ミラー 『南回帰線』より



  負(ふ)のヨーロッパ(そして負のアメリカ) を考えるとき、奴隷制を可能にしたメンタリティと、ねたむ神に従うメンタリティと、大自然を貪りつくすメンタリティを思わずにはいられない。その心的傾向の残滓(ざんし)は今もなお残っている。すなわち人間として守るべき節度を越えた、他者および自然に対する独善的(どくぜんてき)傲慢(ごうまん)さ。



  I can think of no street in America, or of people inhabiting such a street, capable of leading one on towards the discovery of the self. I have walked the streets in many countries of the world but nowhere have I felt so degraded and humiliated as in America. I think of all the streets in America combined as forming a huge cesspool, a cesspool of the spirit in which everything is sucked down and drained away to everlasting shit. Over this cesspool the spirit of work weaves a magic wand; palaces and factories spring up side by side, and munition plants and chemical works and steel mills and sanatoriums and prisons and insane asylums. The whole continent is a nightmare producing the greatest misery of the greatest number. I was one, a single entity in the midst of the greatest jamboree of wealth and happiness (statistical wealth, statistical happiness) but I never met a man who was truly wealthy or truly happy.
   
 HENRY MILLER Tropic of Capricorn



  人々の精神性を高めようとしない社会は、やがて精神的に爛(ただ)れていく。本質的な価値が見えなくなり、ただその場かぎりの自己中心的享楽に身を任せ、それが幸せだと錯覚(さっかく)する。人間の精神的な本質が置き去りにされて、ただ身体的感覚的欲求ばかりを追い求める社会が立ち現われる。そして心が乾(かわ)き切った、お互いがお互いをモノ化し手段化する世界へと変貌(へんぼう)していく。



真の協同体は本質的に責任ある個人の協同体である。それに対して単なる大衆は非人格化されたものの集合に過ぎないのである。
 
  フランクル 『死と愛』より



     2003.07.03



  深い悲しみは、もしすなおにこれを受け入れるならば、非常にその人を深めるものである。 …長い苦しみも、深い悲しみのように、その人を深めて、時空のわくから解放する力を持っているであろう。

  岡 潔 『日本のこころ』より



  さて、今もなお貪(むさぼ)り続けるこのヨーロッパ的なものからどのように抜け出していくか。われわれの心の内にも住み着いてしまった、この世界の本質を食いつぶすヨーロッパ的な個人主義的自由気ままからどのように抜け出していくか。われわれの社会を浅ましい欲望追求の喧騒(けんそう)と犯罪の沼地へと引きずり込んでいく、このヨーロッパ的なものからどのように抜け出していくか、それが問題だ。そしてその先にわれわれはいかなる未来社会を築き上げようとしているのか。

  ヨーロッパ(アメリカ)的なものがドミナントな現代世界で、ヨーロッパ的な精神性が問われている。そしてそのヨーロッパ的な精神性と対照的な精神性がネイティヴ・アメリカンの世界観に見い出される。それは、ヨーロッパ的な精神が十分に見ることのできなかった、存在そのものの根源的聖性(こんげんてきせいせい)を日常的に見ている点に、また、大自然と人間との一体性を日常的に生きている点に特徴的に現われている。――彼らにとって、大地はすみずみまで神聖なものであり、そして彼ら自身その神聖な大地の一部であり、あたかも赤子が母親の胸の鼓動を愛するようにその大地を愛しているのである。また、彼らの周りの花や鹿は彼らの兄弟姉妹であり、せせらぎの音は祖父の声なのである。このような世界観からは自然を貪りつくすヨーロッパ的なものは生じ得ない。そしてどちらがより高い精神性を示しているかは誰の目にも明らかであろう。



  従って「表面的な」人間が相手の「表面」にのみこだわりその深みを把握(はあく)することができないのに対して、「深い」人間にとっては「表面」すらもなお深みの表現なのであり、表現として、確かに本質的且(か)つ決定的ではないにしても、重要なのである。

  フランクル 『死と愛』より



  かつて真精神の属性(ぞくせい)として、幼子のような純真さと限りなく高い視座と限りなく広い視野と限りなく深い心とを考えたが、この中で、幼子のような純真さは騙(だま)されやすいという、そして、限りなく高い視座は高慢(こうまん)に陥(おちい)りやすいという、また、限りなく広い視野は表面的になりやすいという弱点を持っている。しかし一方、限りなく深い心には、それらの弱点をその基底(きてい)において補(おぎな)って、それぞれの属性をその本来のはたらきへと引き戻す力がある。その意味において、この深い心は真精神の属性において、本質の中の本質であるということができる。そしてまた、この心の深さこそは人間をもっとも人間らしくしてくれる属性でもある。また、心の深さにおいてこそ、この世の全てのものはその本来の一体性を顕(あらわ)にするのである。われわれは自らの心の深さを取り戻すことによって、それまで見失っていた世界との一体性をふたたび回復することができ、世界との本質的な関係を築き直すことができるのである。

  未来社会はまず何よりも人類の心を深める方向に向かわなければならないと思われる、現代人の心は映像文化の影響からか、ややもすると上滑(うわすべ)りしがちであるから。

  心が深まることによって、生が深まり、時間が深まり、そして世界が深まっていく。



     2003.07.04



  僕は自分自身を忘れるときのみ、はじめてこころよく思いにふけり、思いに沈む。いわば、万物の組織のなかに溶けひたり、自然とまったく同化することに、僕はえも言えぬ歓喜(かんき)恍惚(こうこつ)を感じるのである。

  ただあるのは、われわれの存在しているという感覚だけ、そして、この感覚が全存在を満たしうるような状態がつづくかぎり、そこに見いだされるものこそ、幸福と呼ばれうるのである。それは、人々が現世の快楽の中に見いだす幸福のような、不完全で、貧弱で、相対的な幸福ではなく、充実した、完璧(かんぺき)の、満ちあふれた幸福である。

  ルソー  『孤独な散歩者の夢想』より



  生の本質に目覚めていないと、われわれはたちまち欲望の奴隷になり、その無限スパイラルに取り込まれてしまう。また、既成(きせい)の社会システムの歯車と成ってマリオネットのように非主体的な表面的生を生きてしまう。生の本質は、純粋な至福を生きることであり、それはそのまま存在の充実であり、真の知恵である。純粋に今ここに実存していることの至福を転じていくことのなかに真の生があり、真の知恵と愛もある。純粋至福を生きるとき人はそれ以上利己的になる必要もなく、何かを貪(むさぼ)り求める必要もなく、十分に自足しながら世界に喜びを伝えていく。その命の深みを深い感謝の念とともに清らかに転じていく。そして、バブルのような欲望の無限スパイラルを消滅させ、本質的な社会システムを構築していく。



  客体と主体とは認識行為において相互に結合し、変化し合うのである。だから否でも応でも人間は自分の見るすべてのもののなかに自己を再発見し、そこに自分の姿を見ることになるのである。

  人間は代々自らのうちに託された宇宙の本質と総体をゆっくりと完成することによってのみ前進する。

  テイヤール・ド・シャルダン 『現象としての人間』より



     2003.07.05



  アメリカインディアンの民間伝承(でんしょう)は、われわれの存在を三重の奇跡として語る。「そもそもものたちが存在すること。そのものたちから生命が出現したこと。そして最後に、その生命がみずからを意識するようになったこと」。形相(けいそう)の奇跡。生きた形相の奇跡。そして、みずからの生命を意識する生きた形相の奇跡である。われわれは、自分たちの存在にあずかるこれら三つの驚くべき事実を当然視(とうぜんし)している。感覚麻痺(まひ)に陥(おちい)って、日常生活を営むうえでこれらの永遠の奇跡など取るに足らないものであるかのごとくふるまうのだ。   

 デュエイン・エルジン 『ボランタリー・シンプリシティ』より



  ヨーロッパ種族がネイティヴ・アメリカンに為したと同じことを、日本民族はアイヌ民族に為してきた。そのメンタリティが、明治期以降の近代日本における、帝国主義的国家形成とその破局へと至る歴史の根底に横たわっている。われわれ日本人も精神的に十分に野蛮であった。そしてこの精神的野蛮が今もなお節度を弁(わきまえ)ない欲望追求に走らせている。日本人は今一度、日本古来の清浄心に目覚めるべきである。心を清浄に保ち、貪(むさぼ)ることを止めて、大自然に対する崇敬(すうけい)の念をふたたびその胸の内に呼び起こすのである。慎(つつし)みのない日本人が増えた今、他のいかなることにも優先して、まずはわれわれの先祖の敬(うやま)い畏(おそ)れたあやしくくすしくたえなる神なる大自然の恵みに対する感謝を思うべきである。そしてまた、万物平等一体の根源的真実世界へとみずからの心を帰すべきである。



  …if you see somebody winning all the time, he isn’t gambling, he’s cheating. Later on in life, if I were continuously losing in any gambling situation, I would watch very closely. It’s like the Negro in America seeing the white man win all the time. He’s a professional gambler; he has all the cards and the odds stacked on his side, and he has always dealt to our people from the bottom of the deck.

from THE AUTOBIOGRAPHY OF MALCOLM X



  今や地球上の生態系はわれわれ人類の精神性に全的(ぜんてき)に依存(いぞん)している。人類の精神性がいつまでも低いままであれば地球生命系の主要部分は遠からず破局を迎え、もしその精神性が向上すればそれはやがて生き生きと輝きだす。もうすでに人類が類(るい)として、その精神性が問われる時代に突入している。つまり、われわれ一人一人が自覚的にどちらを選択するかを地球生命系全体から問われているのである、すなわち、精神性を高める道を選ぶのか、それともいつまでも気随(きずい)気ままな欲望追求に明け暮れるのか… 今やわれわれ人類には地球生命系の未来に対する全的責任がある。



     2003.07.06



  仕事仕事というが、われわれは大切な仕事なんかしてはいない。われわれは舞踏病(ぶとうびょう)にかかっているので頭を静かにしておくことができないのだ。

  あなたはいちばん何に近く住みたいとお思いですか? …人がいちばん雑踏(ざっとう)するところに近くではなく、柳が水のそばに立ち、その方向に根を伸ばすように、われわれのすべての経験によってそこからそれが発することを知った、われわれの生命の永遠の源泉に近く、でしょう。これは人々の性質によってちがうでしょう。しかし、これこそ賢い人がその地下室を掘る場所です…

  わたしは真の富をたのしむことのできる貧しさが欲しい。

  余分な富は余分なものをしか買うことができない。金銭は魂の一つの必要物を買うにも入用でない。

  彼は存在のより高い秩序の認可をもって生きるであろう。彼が生活を単純化するにつれて、宇宙の法則はより少なく複雑に見え、孤独は孤独でなく、貧困は貧困でなく、弱さは弱さでなくなるであろう。

  イギリスではジャガイモの腐(くさ)れをふせごうとさわいでいるが、誰か、それよりももっとずっと広くそして致命的にはびこっている頭の腐れをなおす工夫をするものはいないかしら?

 H.D.ソーロー 『 ウォールデン――森の生活 』より



  本質が人間を導かねばならない。人間が世界を導くのではなく、本質が人間と世界を導かねばならない。人間はただ本質に従い、本質の望むがままに、本質から与えられたみずからの能力を用いていく。この世に本質が満ち渡ってこそ、われわれの実存の至福も完全なものとなる。



  Life comes from the Spirit.
  In wealth there is no hope of life eternal.

    from THE UPANISHADS



  真実無所得にして、利生の事をなす。即ち吾我を離るゝ、第一の用心なり。此の心を存せんと思はゞまづ無常を思ふべし。一期は夢の如し。光陰は早く移る。露の命ちは消へ易し。

  すべからくしるべし。時光は空しくわたらず、人は空しくわたることを。人も時光とおなじくいたづらに過ごすことなく、切に学道せよと云ふなり。

  正法眼蔵随聞記より



  この世に生を受けたすべての者がその本質を生きることができるユートピア社会。そこでは生活のあらゆる面が本質化され、生の時を空しく過ごす者がいない。人と人との関係は信頼に満ちあふれ、人と自然の関係は自ずからなる調和に満ちあふれている。



     2003.07.07



  もはや何一つ望むものがなくなるほど完全な状態としての至福(しふく)。命の真実の充満。全き寂静(じゃくじょう)。全き統合。生命の至高時。永遠も無限も神秘もこの世界のあらゆる存在も、その一切が真精神において完全統合されて生き生きと輝く実存の極地(きょくち)。

  この世の一切はPLEROMAプレロマ(完全性の充満)の顕現(けんげん)であり、それゆえ、一切はその本質において完全であり、われわれ人間もまたその本質をそのまま清らかに展開していくだけで完全であり続けることができる。

  人はその本来の完全性において至福であり、永遠であり、無限神秘であり、聖らかである。人は皆、大自然から授かった自らの本質的完全性を汚すことなく生きることがその本来の姿なのであり、そのとき母なる大自然の聖性を汚すこともない。

  実存の根源的感情としての絶対至福。実存していることがそのまま絶対的な至福状態に他ならない。このことにさえ気付いていれば、人はだれも、母なる大自然と自らの実存に対する感謝の念に満ち溢れ、慎(つつし)み深く、善良になれるのに、そして、自ずからいのちの本質を生きることができるのに…  このことに気付かないうちはハイエナのように、際限のない個人的な欲望の充足を求めていつまでも、虚(むな)しく幻影的生涯を送り続ける。



  いや、未来の永遠のじゃなくて、この地上の永遠の生ですよ。そういう瞬間がある。その瞬間まで行きつくと、突然時間が静止して、永遠になるのです…全人間が幸福に到達すれば、時はもはやなくなってしまいますよ、その必要がないんだから。 …時は物じゃなくて観念ですからね。頭の中から消えてしまうんですよ…

  たとえ話なんかじゃない、ただの木の葉、一枚の木の葉ですよ。木の葉はすばらしい。すべてがすばらしい…すべてです。人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです。これがいっさい、いっさいなんです!知るものはただちに幸福になる。その瞬間に。 …もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょうよ。ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません。

  …人間がよくないのは、自分たちがいい人間であることを知らないからです。それを知れば、女の子に暴行を加えたりはしない。人間は自分がいい人間であることを知る必要がある。そうすればすべての人が、一人残らず、即座(そくざ)にいい人間になる。

  ぼくはすべてに祈るのです。ごらんなさい、蜘蛛(くも)が壁を這(は)っている。ぼくはこれを見て、その這っていることに対して蜘蛛に感謝するのです。

 ドストエフスキー 『 悪 霊 』より(キリーロフの言葉)



  柿の葉落ち オニヤンマ飛び行く



  あらゆる生き物たちは、この世に、そのいのちの至福を生きるために、生まれてくる。その願いを最大限に叶(かな)えるための地上の桃源郷(とうげんきょう)、ユートピア。望むらくは、われらにこの願いを叶える力が与えられんことを!



  Prayer is the power that makes OM turn round and then the mystery of God comes to light.

from THE UPANISHADS



     2003.07.08



  だが、なぜだ、なぜキリスト教のほうが優(すぐ)れているというのだ? ユダヤ人たちがルナン氏のあれほどほめそやしているあの一神教へと導かれて行ったのは、「自然」の多様性を象徴の多様性によって表象(ひょうしょう)する力がなかったからだということが君にはわからないのか?.............ギリシア人たちを、神的なもののあらゆる様相(ようそう)を理解する力ある者たらしめたのは、まさしく、整然たる統一体としての宇宙についてのより広いより多くの理解なのだ。彼らはそよぐ風、さえずる鳥の方へ、事象(じしょう)の美の方へと、身を傾けた。そして彼らの知性を驚嘆(きょうたん)させる対象という対象から、それぞれ一つの、生命ある輝かしい象徴を引き出したのだ。

  それに、ギリシア人の宗教には何という光があることだろう、「自然」との何という友情があることだろう!…ギリシア人が知っていた、被造物同士のあいだに射していたあの同胞愛の光、あの光を本能的に再発見したように見える者は、キリスト教の歴史上、アッシージの聖フランチェスコひとりにすぎない。 

   ニコラ・セギュール 『知性の愁い』―アナトール・フランスとの対話―より



  自然を貪ることの中に幸せを見いだすことはできない、むしろ、自然に対する畏敬と感謝の念の中にこそ汲めども尽くせぬ真の幸せが潜んでいる。

  本質・存在・実存に対する畏敬(いけい)と感謝の念―――本質(PLEROMA)の根源的絶対性に対する畏敬と感謝の念と、存在(宇宙・大自然)の唯一無上性に対する畏敬と感謝の念と、実存(自分の生命)の現在性に対する畏敬と感謝の念。これらの本質的感情の上に、自己および一切衆生・万象の本質展開への祈りを生きる本質実存者。

  ユートピアの基盤: 本質・存在・実存に対する畏敬と感謝の念 と 全一調和(平等・公平な相互連関) と 本質的自由 と 本質的労働 と。

  近年のわが国の犯罪動向を見ていると、われわれ人間がその精神の根っこの部分で変質し始めているような気味の悪さを感じることが多い。その原因はどこにあるのだろうか。現代日本社会の現状を見てみれば、いのちの本質に根付かない、興味本位の、その場かぎりの享楽的な文化が大衆のあらゆるメディアに溢れかえり、一方、その氾濫(はんらん)を制御すべき社会の本質的機能が、あらゆるものを商品化してしまう経済優先的コマーシャリズムによって機能不全におちいってしまっている。そしてそんな状況にありながら、いまだに人間の失われた精神的本質を回復しようという真剣な社会的運動を見ることができない。ようやく手に入れた生活の便利さを犠牲(ぎせい)にしてまで人間の精神性を回復する必要性を社会全体がまだ認めていないのだ。本質が軽視され、覆(おお)いをされ、隅(すみ)に押しやられている。誰も、いったん身についた気随(きずい)気きままな生活を手放したくないのだ。そして、無意識裡(むいしきり)に、都合よく思考停止状態に入る。自分に都合の悪いことは深く考えないことが一番なのだ。

  情報がドミナント(支配的)な現代社会にあって、さまざまなメディアを通じて社会に溢(あふ)れかえっているその影響力の強い情報が恐ろしいまでに表面的で、興味本位で、場当たり的なのだ。テレビ・ラジオ、漫画、インターネット、携帯電話、週刊誌、映画、ビデオ、CD、DVD、広告などなど、これら社会に溢れているメディアが伝える情報の内容が子供っぽく、本質的内容に乏しい。それはただ、神経の表面をかすめていくだけで、心の奥深くまで届くものはほとんどない。人間を精神的に刺激し、成長させてくれる情報に乏しいのだ。われわれの時代は精神的空白地帯に入り込んでしまっている。世の中では騒がしい情報が溢れんばかりに飛び交っているが、人の心は機能停止状態に陥っていて、その内奥は空虚(くうきょ)で不気味な位しずまり返っている。

  なぜこの国では新しい時代に相応(ふさわ)しい大人の文化が立ち現われ根付(ねづ)こうとしないのだろうか。大人は皆、非本質的な仕事の忙しさに日々その精力を奪い取られ、精神的鈍麻(どんま)状態に追いやられてしまっているのだろうか。大人の文化が根付かない社会では、子供たちが真の大人に成長しようとしてもそれは無理というものだ。この様な環境の中ではたとい若者たちの心がおかしくなっても誰も彼らを責められない。現代日本の若者たちの心に巣食い始めた薄気味の悪い異常性の半ば以上は大人の責任なのだ。しかし、この国では責任という言葉ほど軽い言葉もないのである。誰も何に対しても責任をとろうとはしない。哀しいかな、かつては美(うま)し瑞穂(みずほ)の国と歌われたこの日本では、いまは恐ろしいほどに狭量(きょうりょう)な精神性が、能天気(のうてんき)な無責任性と同居(どうきょ)しているのだ。



  およそ狭量(きょうりょう)な精神というものくらい、万有の全体を、――神的なものも人間的なものも、つねに憧(あこが)れ求めようとするほどの魂と相反(あいはん)する性格のものはないからね

   プラトン 『 国 家 』より
  


     2003.07.09



  単に眼に美しいだけの景観ではなく、人の心に美しい景観(けいかん)を街なかに溢(あふ)れさせたいものだ。

  今の日本では、心に美しい景観にお目にかかることがあまりない。うわべは美しくとも心に美しくない景観が増えてしまった。それは都会に行けば行くほど、また、都心に行けば行くほどそうである。思えば現代人の心に本当に人間らしい潤(うるお)いがなくなってしまったのがその原因ではなかろうか。すべてが機能的、表面的になってしまって、いつしか人の作り出すものにもいのちの深みが感じられなくなってしまった。

  現代では本質が本質として扱われることはほとんどない。すべてが商品化され貨幣価値(かへいかち)へと貶(おとし)められてしまう。人間の実存すら商品化され貨幣価値へと貶(おとし)められてしまっている。人間と世界の本質が本質そのものとして扱われる、本来この地上にあるべき社会はいつ実現するのだろうか。



  Think about where we are going as we enter the 21st century. Think about how we humans fit into the natural world, and think about what we――as individuals, groups, and nations ――can do to stem the tide of the Sixth Extinction.

NILES ELDREDGE Life in the Balance



  それぞれの時代で既得権益(きとくけんえき)を貪(むさぼ)っていた者たちほど罪深いものはいない。王侯貴族(おうこうきぞく)、地主、資本家、高級官僚(かんりょう)、企業家その他あらゆる形態(けいたい)の支配的階級。この世には本来、誰一人として自然および人間を支配し搾取(さくしゅ)する権利を持つものはいない。それゆえ既得権益者はすべて本質的に泥棒に他ならない。そのようなこの世の本質を汚し続ける泥棒たちが大手を振って現代世界を闊歩(かっぽ)しているのである。これでは世の中がよくなるはずがない。いつまでも既得権益者であり続けるものは一人残らず精神的野蛮人である。ちなみに、かつて有島武郎は資本家としての自己改造を目的に北海道の有島農場を開放している。精神性が高まれば人は自発的に既得権益を万人に譲(ゆず)り渡す。今は、そのような精神性の人類的高まりの時が一日も早く到来(とうらい)するようにと祈るばかりである。



  We can learn again to live in harmony and equilibrium with Earth and all its living creatures. We must――our future depends on it.

NILES ELDREDGE Life in the Balance



  その場しのぎの、部分的、自己中心的改善ではなく、永遠普遍(えいえんふへん)を視野に入れた、全一的、絶対的公平を目指した地球社会の改革へと向かわなければならない。そろそろ人類も本腰を入れて自己改革に取り組むべきときである。人間一人一人が、人類全体を一体のものとして考える類的思考を身につけ、さらには、万象一体の全一思考を身につけてもいい頃である。もう人類の精神的成熟への進化過程が加速されてもいい頃である。



  心は是れ菩提樹、身は明鏡の台だい為たり。

  明鏡は本より清浄なり、何処にか塵埃に染まん。

   六祖壇経より 慧能の偈



  もともと清らかなこの身と心を清らかなまま保つこと、それがわれわれ一人一人の自らに対する義務であり礼儀である。

  地球生命系の一員としてのマナーを弁えない人間が増えすぎてしまった現代社会において、われわれ人類はひとりひとりこの地球上に生き続けるために必要なマナーを学び直さなければならない。

  その成長の過程において生命感情が希薄化(きはくか)し、生命あるものとの根源的な共通感覚が成立しない子供たちが増えているのではなかろうか。生命軽視(せいめいけいし)へとつながる、自他の生命の無機的な認識。生命が単なる映像的対象物に成り下がってしまったかのように、命あるものを簡単に死に追いやってしまう若者たち。どこか人間的な暖かい情感がしだいに枯渇(こかつ)していくような、いのちといのちの間に築かれるべき関係の連鎖(れんさ)がばらばらに断ち切られていくような、そんな気味の悪い潮流(ちょうりゅう)を感じてしまう。



     2003.07.10



  心に美しい情景、心に美しい眼差し、心に美しい仕草、心に美しい言葉、心に美しい声、心に美しい音、心に美しい映像、心に美しい景観、心に美しい願い、心に美しい祈り…

  この世から少しでも悲しみを減らし、喜びを増やすためにはどうすればいいのだろうか。争いのない、本当に安定した平和な世界を作るにはどうしたらいいのだろうか。誰もが気持ちよく生きることができる、心に美しい世界を作るにはどうすればいいのだろうか。本質を中心とした、他を支配する者のいない、敬意と慈(いつく)しみに満ち溢れた世界を作るにはどうすればいいのだろうか。人間の心と自然が壊れていくこの世界に、真のユートピアを築き上げていくにはどうすればいいのだろうか。



  どうしてわれわれはこうもせわしなく人生のむだづかいをして生きなければならないのか。

H.D.ソーロー 『 ウォールデン――森の生活 』より



  少年犯罪が激増する日本。社会状況に対してもっとも無防備で、もっとも影響を受け易い少年たちの間で増え続ける凶悪な犯罪は、この国の、社会を社会たらしめている本質的なモラルそのものが解体しつつあることを示してはいないだろうか。敗戦後のがむしゃらな経済成長と欲望追求の果ての精神的崩落(ほうらく)。人間とは優れて精神的存在であり、その精神が正しく機能しなくなれば人間は人間ではなくなってしまう。現代日本で今われわれが少年犯罪の中に見ている薄気味悪さの背景には、そのような、人間が内側から溶解(ようかい)し去っていくような精神的危機状況が潜(ひそ)んでいる。日本人全体の心がしだいに干上(ひあが)り、浅く、軽薄になっていく。人間のいのちの命ともいえる精神の成長がいつまでも忘れられなおざりにされたままなのである。現代日本社会の精神的環境が劣悪(れつあく)で放逸無慙(ほういつむざん)なのである。

  本質(の手綱たづな)によって制御(せいぎょ)されることのない、放恣(ほうし)にまで至った自由。そろそろ自由を本質の手によって引き締(し)めるべき時である。



  では今日、宗教や精神の価値を無視して行なわれている「近代化」なるものが、本当によい成果をあげているのかという当面の疑問が残る。一般大衆に関する限りは、その成果たるや惨憺(さんたん)たるものであり、農村経済は崩壊(ほうかい)し、町でも村でも失業が大幅に増え、栄養不良か、でなければ心のすさんだ都市貧民層が発生しているのである。

E.F.シューマッハー 『スモール イズ ビューティフル』より



  The so-called realists, whose view of the world is frequently very limited and unreal, tend to emphasize destructive and military power to the exclusion of the other forms of power, which is a great mistake.

  .........yet the evidence is very strong that integrative power is the most important of the three, and without it neither military power nor economic power can persist for very long.

  The only power available for the most part is integrative power; the power of persuasion and communication, those subtle messages that go by the name of charm by which friendliness is evoked.

KENNETH E. BOULDING Three Faces of Power



  If one party controls the belief system of the other, it may thereby increase its power.

HUBERT M. BLALOCK, JR. Power and Conflict



  この全一的宇宙においては、一人の人間の精神的向上は宇宙全体を精神的に高めるのである。

  市民一人一人が、全体世界との連関の中ではじめて露(あらわ)になる自己の命の本質的な意味と価値を生きる理想世界。自己の生命エネルギーを、自由に、そして真に発揮(はっき)することができるユートピア。

  ユートピアは精神王国である。ユートピアでは生命活動の一切が精神化される。

  結局のところ、公平で自由な精神的高邁(こうまい)さによってのみ地球社会は真に統合されうる。力によってでもなく、経済によってでもなく、真の精神によってのみ全人類は平和的かつ究極的(きゅうきょくてき)に統合される。その目標を達成するためにも、多くの人々の力を結集して、今ある地球上の多種多様な世界観を高次統合し、全一調和的な真の本質的世界観を構築していく必要がある。



     2003.07.11



  自我領域を無限大にまで拡大していく。自我を自分の等身大に限定するのは、自己了解(じこりょうかい)のあり方としては余りに狭隘(きょうあい)に過ぎる。よく観察すれば、自己とそれを包んでいる世界とは一続きの一体的世界であり、何一つとして切り離せるものはない。それゆえ、真実の自己は一切万象(いっさいばんしょう)に他ならず、その真実自己を統合(とうごう)しているものが自己の内なる精神なのである。つまり、真の自己とは、自己の精神であり、同時にその精神によって統合されている一切万象に他ならないのである。そして、精神は無心の時もっとも完全に機能する。



  未だ曽つて一念を離れず、随処に清浄にして、光十方に透り、万法一如なり。 

    臨済録



  つまるところ、真の自己なる精神も万象も、その一切を私物化することなく、つねに無なるPLEROMAへと帰(かえ)しながら生きるのが最上なのだ。日々、それに関して、限り無く言葉を費やしながらも、いつもそれを絶対無のPLEROMAに帰し続けて、真法界(しんほっかい)を汚さない。

  幾世代(いくせだい)にもわたって積み重ねられてきた人間の利己的妄念(りこてきもうねん)の表われとしての現代文明。利己的妄念の表われに過ぎないから、そのなかにはわれわれの心の内奥(ないおう)に届く本質的な優雅(ゆうが)さがないのである。現代においては人も物もすべてがどこか物欲(ものほ)しげである。

  ユートピア―――人間の利己的妄念に汚されることなく、すべてのものが他のすべてのものとバランスよく調和している、全一統合ネットワーク世界。その中では真実自己の本質が自ずから実現される。



  He(Aldous Huxley) argued――like Walt Whitman――that the communication and behavior of animals has a naiveté, a simplicity, which man has lost. Man’s behavior is corrupted by deceit――even self-deceit―― by purpose, and by self-consciousness. As Aldous saw the matter, man has lost the “grace” which animals still have.

  I shall argue that the problem of grace is fundamentally a problem of integration and that what is to be integrated is the diverse parts of the mind――especially those multiple levels of which one extreme is called “consciousness” and the other the “unconscious.” For the attainment of grace, the reasons of the heart must be integrated with the reasons of the reason.

GREGORY BATESON Steps to an Ecology of Mind



  「よりよい」文化は、すべての基本的な人間欲求をみたし、自己実現を可能にする。

  すべての至高体験(しこうたいけん)は(他の特徴のなかでもとくに)人格内、対人間、世界内、人と世界の間の分裂を統合するものであること、

  …これらの経験は生命価値をもっている。つまり、人生を価値あるものとするのである。

  …それらはそれ自体価値がある、等々。

   A.H.マスロー 『完全なる人間』より



  あらゆるものを私物化してしまうわれわれ人間は、何一つとして私物化しない獣たちよりはるかに下等である。



     2003.07.12



  つまり、物理学者や東洋の賢者が、すべては空である、すべては二つではない、あらゆるものは相互に浸透(しんとう)しあっている、というとき、彼は物事の違いを否定し、個性を無視して世界が均質(きんしつ)なものだといっているわけではないのである。世界は、あらゆる種類の特徴(とくちょう)や外観や線を含んでいるが、それらはすべて一つの縫(ぬ)い目のない場に織(お)りこまれている。

   ケン・ウィルバー 『 無境界 』より



  生身(なまみ)のPLEROMA。生身の日常生活の一切をそのまま絶対無のPLEROMAに帰(かえ)しつつ生きる。あらゆる行為が絶対無と表裏一体(ひょうりいったい)であるから、何ものにも執着(しゅうちゃく)したり囚(とら)われたりすることがない。あらゆる行為が、為なされると同時に清められ、跡(あと)を残さない。あらゆる思考が、現れると同時に清められ、跡を残さない。そこには卑(いやし)さがない。そこには停滞(ていたい)がない。そこには限定がない。そこには女々しさがない。そこには貪(むさぼ)りがない。そこには打算がない。そこには誇大(こだい)がない。そこには水増しや掛け値がない。あらゆる行為が清らかである。

  金儲(かねもう)けとエンターテインメントを中心に動く現代日本。そこには人間としての品格と心の潤(うるお)いがない。慎(つつし)みのない表面的な装飾性ばかりが目立ち、深い心の目覚めがない。人生においてもっとも大切でもっとも貴重なものは深い心と深い心との触れ合いの体験であり、その人生の最高の体験が、現代日本では、人々の心の脇を素通りしていってしまう。

  人間の精神的向上とともによりよい世界が生まれてくる。地域住民の精神性に相応(そうおう)した地域社会。社会状況と住民の精神性との間には強い相関関係がある。地域住民の精神性と地域社会のシステムがその地域の環境をおおよそ決定付ける。

  ユートピアにおいては、地域社会はその住民の精神性を向上させるためにいかなる努力も惜(お)しまない。

  人はみな自分の人生を楽しむ前に、地球生命系の一員として守るべきルールを守り、人類の一員として守るべきルールを守る必要がある。もちろん、人生を楽しむことそれ自体少しも悪いことではない。むしろ人は、この世に自分の命の最高を生きるために生まれてきたのだから、まず何よりも自分自身に対しその人生を真に楽しいものにする義務があるとすらいえる。しかしそれも、いのちの本質を汚したり損なったりするようなものであってはならず、この地球上に生まれ合わせた全生命系の一員として、また人類の一員として守るべき礼儀とルールを守った上での話でなければならない。その自覚なくしてただがむしゃらに自分の人生を楽しもうとばかりしてはならないのである。もはやわれわれの時代の地球生命系は無神経な人類を許容(きょよう)してはいられなくなっている。

  現代社会は長い反本質的歴史の積み重なりの結果、あらゆる面においてアンバランスの極(きわ)みに立ち至っている。今や、このアンバランスを根本から解消する試みとしてのユートピアが真剣に追求されなければならない時期にきていると思われる。



  ................The Pueblos (of New Mexico) believe that thoughts have a life of their own and that these live thoughts are an integral part of any man-made structure and will remain with that structure forever. Thoughts are as essential an ingredient as mortar and bricks. Something done without the right thoughts is worse than nothing.

  ............Having the right thoughts brings people together and can add to group cohesiveness and solidarity. When a Pueblo Indian builds a house, it reaffirms the group. When a white man builds a house, the last consideration in the owner’s mind is reaffirming the group. In fact, building a house may even contribute to feelings of envy on the part of associates, friends, and neighbors.

EDWARD T. HALL The Dance of Life



     2003.07.13



  存在に対する聖なる感情を消し去ったのは近代科学である。近代科学は世界を数式化(すうしきか)抽象化(ちゅうしょうか)し、人間と自然との一体性を限りなく希薄化してしまった。われわれ人類は存在に対する聖なる感情を回復しない限り遠からず自滅する。

  存在の根源の深みを通して一切万象(いっさいばんしょう)と一体化する。すなわち、いったん自己を聖なる本質(PLEROMA)に帰(き)して、その回帰(かいき)した自らの内なる本質を通して一切万象と一体化する。いわば本質を、失われてしまった自己と一切万象との一体性回復のための媒介(ばいかい)ないし触媒(しょくばい)として心理的に活用する。

  生活のあらゆる面を本質化していく。人と自然の関係の本質化、人と人との関係の本質化、仕事内容の本質化、教育内容の本質化、政治経済の本質化…

  森羅万象(しんらばんしょう)は聖なる本質からできている。その本質的流れに従い、反本質的流れに対抗する。



  プラトンにとって、哲学は依然として、別の世界、即ち、イデアの世界に入る秘訣(ひけつ)であり、哲学することは死の練習をすることを意味する。

  更に、これは善を志すことを意味する。善について最初に語ったのはソクラテスであった。

   シェストフ 『 ソラ・フィデの哲学 』より



     2003.07.14



  For Plato, living intelligently, that is, learning to know and knowing the true, the beautiful, and the good, is above all remembering a disincarnate, purely spiritual existence. “Forgetting” this pleromatic condition is not necessarily a “sin” but is a consequence of the process of reincarnation. It is remarkable that, for Plato too, “forgetting” is not a necessary concomitant of the fact of death but, on the contrary, is related to life, to reincarnation. It is in returning to earthly life that the soul “forgets” the Ideas. Here we find not a forgetting of previous lives――that is, of the sum of personal experiences, of “history” ――but a forgetting of transpersonal and eternal truths, the Ideas.

  MIRCEA ELIADE Myth and Reality

  

  一段階上の社会へと脱皮していく。

  このわれわれの宇宙は、PLEROMA界に浮かぶ泡沫(ほうまつ)のような無数の宇宙の一つに過ぎず、唯一絶対(ゆいいつぜったい)の実在(じつざい)であるPLEROMA界に生じた、まさにうたかたの一変化(いちへんげ)である。そのような宇宙に生きるわれわれは、必ず、唯一絶対の実在であるPLEROMA・本質に対する聖なる感情を抱き続けなければならない。

  このわれわれの宇宙は、PLEROMAに対してはほとんど無に等しく、また、われわれ人間はこの宇宙に対してほとんど無に等しい。すなわち、われわれ人間は、PLEROMAに対してはほとんど無の無に過ぎないのである。そんな無の無たる人類が傲慢(ごうまん)にも勝手気ままのし放題(ほうだい)なのである。思えばこれは狂気(きょうき)の沙汰(さた)以外の何ものでもない。

  PLEROMAをこの宇宙に存在しているものに喩(たと)えて表わすことはできない。PLEROMAはわれわれにとってどこまでも神秘である。(あえて語れば、霊のような、気のような、純粋エネルギーのような、眼に見えない、一切に遍満(へんまん)して一切を動かし続ける、根源的いのちの場のような、永遠無限の真実在とでも言えようか…)

  われわれのユートピアは宇宙の母なるPLEROMAに対する畏敬(いけい)と感謝の念の上に構築(こうちく)される。

  われわれの人生における唯一(ゆいいつ)絶対(ぜったい)の務(つと)めは聖なるPLEROMAと精神的に一体化することである。



     2003.07.15



  いや、その人間は隣りあうもののない、継(つ)ぎ目のない全体たる汝・なのであって、その存在は天空(てんくう)に充溢(じゅういつ)するのだ。

  私が汝・と出会うのは恩寵(おんちょう)によってである。

  汝・との関係は直接的である。我・と汝・とのあいだには、概念的理解も、予知(よち)も、夢想(むそう)も介在(かいざい)しない。

  われわれはいかに子供たちによって、いかに動物たちによって教育されることであろう!われわれは一切と一切との相互性の流れのなかに究(きわ)めがたくひきいれられて生きているのである。

 マルティン・ブーバー 「 対話的原理 Ⅰ 『我と汝』 」より



  完全性が充満(じゅうまん)するPLEROMAプレロマ。 そのPLEROMAから生まれた全一的(ぜんいつてき)宇宙。 その全一的宇宙の中で、全一的精神に基づく聖なる意味と価値が充満するユートピア。



  本質に根ざした全一的世界(宇宙)に生きる人間にとって、人生の真の意味と価値は全一的精神を通してのみ顕(あらわ)になる。それ以外の場においては、人は偏(かたよ)った迷妄的(めいもうてき)価値を生きるか、意味と価値の真空地帯に生きるかである。

  ユートピアに生きるものたちの間には、聖なる意味と聖なる価値と聖なる感情とが満ち満ちている。そこには押し付けがましい独り善がりの愛ではなく、完全な優しさとしての愛が充満している。すべてがPLEROMAそのもののように完全であり精神的であり本質的である。

  現代のように物の所有を生きる時代においては、存在の根源的聖性は忘れ去られ、人は表面的に歪(ゆが)められた意味と価値の世界をあたかも亡者(もうじゃ)のように漂(ただ)ようばかり…

  心は常にPLEROMAプレロマの絶対性(ぜったいせい)に住(じゅう)して、一切万象(いっさいばんしょう)に応接(おうせつ)する。

  私的自由平等から全一(本質)的自由平等へ。

  本質化への方向性を示している限り社会の健全性は保たれる。しかし、反本質化へと向かっているとき社会は危(あや)うい。現代世界ははたして本質化への方向性を示しているのだろうか?

  ユートピアは社会の羅針盤らしんばんである。

  一方、現実的活動としては、多種多様(たしゅたよう)な、適正規模(てきせいきぼ)のNPOの、自由な主体的・創造的活動。また、そのようなNPO相互のネットワーク化による理想的地域社会づくり。そしてそのような新しい地域社会どうしの地球的ネットワーク化。

  全一的精神とNPO的社会活動のドッキング。



     2003.07.16



  To summarize the significance of Quiché time, the daykeeping divination is a constant reminder of: A) the sacred time system; B) one’s obligation to one’s lineage as well as bonds to that lineage reaching back in time (the indiscretion of an ancestor can be the reason behind today’s misfortune); C) one’s relatedness to the earth and its nature spirits and to the gods; and D) one’s relationships with and obligations to the larger community. We have very few ceremonies in American cultures where one is forced to think about god, family, and one’s relationship to self and others.

  Quiché time binds people to the village, to ancestors, gods, and daily life.

EDWARD T. HALL The Dance of Life



  ユートピアを願い、ユートピアを意志すること! 生きとし生けるものたちの生の至福(しふく)のためにユートピアを意志すること。人類全体の真の幸せのためにユートピアを意志すること。

  大自然および自己自身に対する聖なる感情の回復。

  いま、人類の意識の方向性が問われている。

  より完全な<自己=世界>認識、より完全な実存、より完全な社会システムへの果てなき祈り。

  アメリカ合衆国、この、(ヨーロッパの支配階級からの)自由の名の下に、先住民族(せんじゅうみんぞく)の聖なる大地を奪いつくし私物化した強奪国家(ごうだつこっか)。 …ヨーロッパ的な支配・強奪のアメリカ版…。 自由の美名の下に今も続くアメリカ的な、詭弁(きべん)に満ちた、独善的な、世界の経済的支配戦略に、永遠視座より断固反対する。今もなおその外交の底流に流れている、欧米の伝統的な、支配・強奪の詭弁的論理に注意しなければならない。そしてそのような厳しい欧米的環境の中で培われてきたヨーロッパ自身の、筋金(すじがね)入いりの、精神性の高い、反ヨーロッパ的な、本質的・良心的勢力と連携(れんけい)し、すべての人間がその生の喜びを生きることのできる真の理想世界を粘り強く構築していく。まだ生まれて来ない未来の罪なき世代のためにも、いつまでも強欲(ごうよく)で無神経な輩(やから)の勝手気ままを許していてはならない。これ以上、大自然の聖性を汚してはならない、汚させてもならない。この世では、最終的には、精神が力と金を支配する。

  農耕の発見は大地の私的占有化(してきせんゆうか)の観念を生み出した。この大地(土地)の私有観念を超えて、ユートピアにおける、農耕と、土地の地域社会的共同利用観念の結合へと向かいたいものである。

  現代人は人間として、その真の尊厳(そんげん)に相応(ふさわ)しい仕事をしているのだろうか。

  自由経済体制がもたらした経済的精神的南北問題。国内的国際的貧富の差が経済至上主義的価値観と連動(れんどう)して人間相互の精神的尊厳をも損(そこ)なってしまった。あらゆる分野においてグローバル化が進行する中で、ますます反本質的な差別が拡大し、先鋭化(せんえいか)する。そのような流れに対抗するものとしてのユートピア運動。大自然の聖性と人間の尊厳を回復し、全存在に対する聖なる共通感情に基(もと)づいた世界観(せかいかん)を確立し、みんなが本質的な仕事にいそしむことのできる社会を実現していく…

  理想以外は利己的なまやかしである。利己主義に基づくあらゆる自己正当化の試みから一日も早く脱皮(だっぴ)すること。そして本質的な自己認識を求め続けること。我執(がしゅう)を脱し、真実へと自己の心を開くこと。

  高い精神性を伴わない民主主義は災いである。集合的愚行(しゅうごうてきぐこう)が自然環境と社会環境を破壊し続ける。

  あらゆる形態の自己中心性は永遠の災いである。この自己中心性の渦巻うずまく社会においてその自己中心性を限りなく乗り越えていくこと。いつの世においても真の精神が人間世界を導いていかなければならない。



     2003.07.17



  理想社会実現への意志によってのみ地球社会はより良くなることができる。ユートピアへの意志がなければこの世の何事(なにごと)も改善(かいぜん)されない。

  まず何よりも、誰もが人間として生きることができる社会づくり。単なる会社人間として生きるのではなく、単なる商人として生きるのでもなく、あるいは単なる役人として生きるのでもなく、いかなる仕事の中においても、まず何よりも人間として生きることができる社会システム。すなわち、あらゆる状況下において人間の本質を最優先に生きることのできる社会システムを実現していく。



  It is one of the basic tenets of logotherapy that man’s main concern is not to gain pleasure or to avoid pain but rather to see a meaning in his life.      

  VIKTOR E. FRANKL   Man’s Search for Meaning



  全体調和の中の最大限の個人的自由。

  金銭にまつわる犯罪を根絶するためのユートピア。金銭によってどれほど人間の精神が卑(いや)しくなったかはかり知れない。人類の歴史を顧(かえり)みるまでもなく、力と金は災いを生み、精神は幸いを生む。そして今や地球市民の精神は、盲目的に力と金に従属(じゅうぞく)しないほどに成熟しつつある。

  みんなで知恵を出し合えば、この地球社会はもっと住み良い所になる。ユートピア研究機関を設立し、あらゆる分野から意見を出し合って、総合的に未来のユートピア世界をデザインしていく。永遠視座(えいえんしざ)からデザインされた理想的地球社会創出の提案。本質的情報の総合的管理とその高次統合(こうじとうごう)から新しいユートピア像も生まれてくる。



     2003.07.18



  忙しくなると人は心を亡くす。時代の流れが忙(せわ)しいと人はみな心を亡くす。現代ほど忙しい時代はかつてなかった。人が心を亡くしていくのも無理はない。そんな現代世界の中でも、もっとも忙しいところは都会である。都会において人はもっとも心を失う、そして人間性を失っていき、社会は急速に荒廃する。その変化のテンポは時代とともにさらに加速し続けていく。人がその人間性を取りもどすためにも、このあたりで一度立ち止まってみなければならない。

  現代人の心は忙(せわ)しなく物ごとの表面を漂(ただ)よう。 …現生人類(げんせいじんるい)は果たしていつの日にか精神の深みを生きるときが来るのだろうか。いつの日にか生の聖性を生きるときが来るのだろうか。

  アップ・テンポの曲は人の心を上滑(うわすべ)りして感覚的陶酔(かんかくてきとうすい)へと退行(たいこう)する。現代はまさしくアップ・テンポの時代である。そして人の心が生の本質へと深まることがない。



  Conscious choice does play an important role in ecology. ...............As Gregory Bateson stressed, if you change the ideas in a social system, you change the system itself. We are seeing the birth of ideas. The very fact that new ideas are coming into existence is changing the conditions. If you don’t follow these new ideas, you will be totally lost. ........We are entering an age of imagination.

JAMES F. MOORE The Death of Competition



  人間の想像力は無限に拡がり、一方、真実世界は無限の無限乗(むげんじょう)の拡がりを持つ。

  なぜ、ユートピアについて語り続けるのか。人間の未来社会にわずかでも本質的な影響を与えんがためである。

  現代人の生命エネルギーの使われる方向性が間違っているのである。人間の聖なる生エネルギーは、物・金・享楽の方向にではなく、真精神による本質展開の方向に使われるべきなのである。



      2003.07.19



  人間の精神性を損ない、対立をあおり、他者を犠牲にし、自然を破壊し続ける、詭弁的(きべんてきまやかし)に満ちた、一部の人間のみが過剰(かじょう)に浪費し享楽(きょうらく)するような、 現行(げんこう)の、物質的豊かさのための自由競争主義的社会システムが、この先いつまでも続いていいはずがない。このシステムが生み出してきた社会的ゆがみのために、これまで世界中でどれほど多くの人の命が犠牲(ぎせい)にされ、どれほど多くの人々が悲しみに泣いてきたか数え切れないほどである。存在の聖性(せいせい)を理解しない政治家や企業家たちによって導かれてきた、この反本質的で破壊的な、不公平を無限拡大するような社会システムを、真の人間的精神性に目覚めた人々によってより本質的なものへと再構築されなければならない。人間の意識をさらに高めて、本当に人々が心の底から求めるものを満たしてくれるような地域社会・地球社会の構築へと向かわなければならない。

  一切万象と全一調和しながら変化していくものは美しい。ゆったりとしたテンポの中で、一切万象(いっさいばんしょう)の多様な変化過程(へんかかてい)とシンクロしながら、その本質(ほんしつ)を展開(てんかい)していくことは実存者(じつぞんしゃ)の無上(むじょう)の喜びである。

  生の本質的テンポを守ろう。本質的テンポから外れる時、多くの間違いが生じる。現代の市場経済至上主義時代のテンポはあまりに速く、あまりに目先の利益に囚(とら)われて切迫(せっぱく)しすぎている。無意味な競争主義を排除(はいじょ)した、全体が一体となった、ゆったりとした永遠的テンポを未来の地球社会の基底(きてい)におくべきである。



  By focusing our attention outward, we have been diverted from the real task of life: the understanding and mastery of life itself.

EDWARD T. HALL The Dance of Life



     2003.07.20 



  より多くの人たちがより幸せになるためのユートピア運動。より多くの生き物がより幸せに生きられるためのユートピア運動。本質的幸せを生きる人々や動物たちの、その満ち足りた、穏(おだ)やかな風情(ふぜい)はわれわれの心にこよなく美しい。そんな美しい情景に満ち溢あふれた理想世界を実現させたいものだ。

  理想社会をつくるためには、あらゆる非本質的な無駄(むだ)を省(はぶ)いていかなくてはならない。自らの聖なる生命エネルギーをつまらないことに空費(くうひ)してはならない。



  個人としての生活のなかでは正しく良心的などれほどの人々が、外交官になると嘘をつくことに、雇主(やといぬし)となると労働者を搾取(さくしゅ)することに、ためらいをなお感じたりするでしょうか?

    シモーヌ・ヴェイユ



  ところで、この地球上に真のユートピアを築くためには、単に個人的意識を高めていくだけでは十分ではない。実質的に社会システムには個人的良心を圧倒(あっとう)するだけの力がある以上、われわれは、個人の意識を高めていくと同時に社会システムそれ自体をより本質的なものへと変えていかなければならないのである。

  人は社会システムに振り回される。社会にさまざまな問題が起きる場合には、まず、そのシステム(ルール)自体を洗い直して見なければならない。そして、最初から混乱を招くことのないルール作りに全力を尽(つく)さなければならない。

  馬鹿な政治家を選ぶ国民はそれによって多くの災いを被(こう)むる。まさに自業自得(じごうじとく)なのだ。

  この世に、愚かなルールの下で行われる、愚かな政治屋による、愚かな政治ほど愚かしいものはない。



  戦士は自分が死んだと考えているのだから、もはや失うものは何もないのだ。すでに最悪のことは起こってしまったのだ。だから、戦士は沈着(ちんちゃく)かつ冷静だ。

  お前の力をつまらないことに使うな、お前はこの無限の拡がりを相手にしているのだ。 …ここでわしらを取り巻いているのは、永遠そのものだ。     

 カルロス・カスタネダ 『未知の次元』より



  For this planet to survive, we have to set a good example to the next generation through our own action and instruction.               
  from 50 Simple Things You Can Do to Save the Earth



     2003.07.21



  人類が犯してきた過去の数多の失敗に学んで積み重ねられた本質的な知恵と、現実の注意深い観察に基づく行き届いた配慮(はいりょ)とによって築き上げられるユートピア。ユートピアは人類の最高智(さいこうち)の精華(せいか)として夢見られる理想的地球社会である。

  人生のさまざまな転換期(てんかんき)における危機をお互いに自覚的に支えあう理想社会。たとえば、中学校、高校への入学時・転校時、また、結婚、出産、育児期、配偶者(はいぐうしゃ)の病気療養期(りょうようき)や死別時(しべつじ)、老齢期(ろうれいき)、その他さまざまな環境の急激な変化を伴(とも)なう時期に人々を襲(おそ)いやすい苦難(くなん)と苦悩を軽減(けいげん)する地域住民によるさりげない心配り。



  およそ日本軍には、失敗の蓄積(ちくせき)・伝播(でんぱ)を組織的に行なうリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。  

  組織の文化とは、組織の成員が共有する行動様式(こうどうようしき)の体系のことである

  『 失敗の本質 』 (日本軍の組織論的研究)より



  ユートピアにおける組織文化は高度に自覚的精神的である。地域住民はその生涯にわたって自己啓発(じこけいはつ)に勤(いそ)しむ。そして、ユートピアはさらに精神的に豊かになっていく。



  さとりとは、物にも、心にも、仏にさえも繋縛(けばく)されることなく、まったく形無くして一切の相(そう)を現(げん)じ、現じながら、現ずることによって、現じたものにも、現ずること自身にも繋縛(けばく)されることなく、空間的に無辺に世界を形成し、時間的に無限に歴史を創造する絶対主体(ぜったいしゅたい)の自覚である。

   久松 真一  『茶道の哲学』より

 

  国民の諸集団の部分的・個別的な利害への対応ではなく、日本と世界の針路にかかわる大きな選択が政治の論争問題(イッシュー)として正面からとりあげられるような制度をつくりあげることが不可欠であろう。そうした新しい政治制度のもとで、未来を見据(みすえ)た建設的な討論を発展させ、地球規模の文明史的な状況に関する人々の認識を再構築し、地球市民の意識を強化し、市民的感覚に基盤をおいた新しい政治的・社会的運動の担(にな)い手たちを育てていくことが必要になるだろう。

  日本人の生活の「豊かさ」は、世界中から資源をかき集めることによって成立している。多くの日本人はそのことを十分に認識していない。 

  正村 公宏 『産業主義を超えて』より



     2003.07.22



  ことばはすぐれて人間的な事物です。 …したがって、ことばによって、<私たちは純粋に人間的な領域(りょういき)にはいっていくことになります>。 

   シモーヌ・ヴェイユ 



  結局日本人は戦後のアメリカナイズされた物質的豊かさによって何を得たのだろうか。勝手気ままな享楽癖(きょうらくへき)と、自然と心の荒廃(こうはい)ではなかったか。高い精神性を伴わない物質的豊かさは畢竟(ひっきょう)、災(わざわ)いをもたらすに過ぎないのだ。余分なお金はその場限りの欲望充足に注ぎ込まれて地域社会と自然を荒廃させ、もっとも近代的でもっとも非人間的な欲望の坩堝(るつぼ)すなわち都会なるものを数多く生み出してきた。

  われわれ日本人は戦後、自由と物質的な豊かさを求めてがむしゃらに働いてきたが、その結果、それまでふつうに見られた、自然や食べ物や人々の労働に対する感謝の念や、日本人としての誇りや恥の意識を失ってしまった。そして、その失われてしまったあとの心の空洞(くうどう)を、存在の虚(むな)しさと無恥(むち)の感情が埋(う)めていった。今や、日本人は精神的な支柱(しちゅう)を失ってしまったどこか捉(とら)えどころのないアメーバのような存在に成り下がってしまった。人間としての品格(ひんかく)に欠けた、自らの手であるべき未来を築き上げていこうという希望も気概(きがい)もない、精神的なその日暮しの、存在感の稀薄な放浪者といったていたらくだ。人間としてまさに地(ち)に堕(お)ちている。



  True, the causal basis for the system of slavery must to a large extent be traced back to the economic factor.

  Science investigates; religion interprets. Science gives man knowledge which is power; religion gives man wisdom which is control. Science deals mainly with facts; religion deals mainly with values. The two are not rivals. They are complementary. Science keeps religion from sinking into the valley of crippling irrationalism and paralyzing obscurantism. Religion prevents science from falling into the marsh of obsolete materialism and moral nihilism.

  The call for intelligence is a call for open-mindedness, sound judgment, and love for truth.

MARTIN LUTHERKING, JR. Strength to Love



  結局、人間社会において真に価値があるのは精神性の高さだけである。精神性の高さによってのみ人間世界に最高最善の幸せがもたらされる。物質も生き物たちも、科学も技術も、さらにはさまざまな悲劇や災難ですらも、人間の我執のない真精神によって統合されてこそ、その本質が生かされる。

  どこまでも理想主義を貫(つらぬ)き通すこと!理想主義だけが本質的な価値を持っている。あらゆる私益のための自己弁護、自己正当化を超えて、全体の真の平和と幸せを願い続ける理想主義。理想を信じ、理想を意志し、理想を追求し続けること!心の中に理想的未来を抱き続けること!



     2003.07.23



  社会の中で発生する数限りない悲劇を減らすことはできないものなのだろうか。それとも、方法しだいで、あるいは意志しだいで減らしていけるものなのだろうか。これが人間の限界だとして諦(あきら)めるべきなのだろうか、それとも、ちょっとしたきっかけさえつかめれば瞬(またた)く間に減らしていくことができるものなのだろうか。それを最終的に決めるのはわれわれ人間自身である。

  一人一人の個人的な人生、一つ一つの家庭生活の中にはそれぞれの宿命のようなものがある。その宿命はそれぞれに重くのしかかる。しかし、その重圧を押しのけて、人は全一的な本質へと自己を解放していかなければならない。個人的家庭的社会的宿命を乗り越えてこそ、人間としての真の自由と尊厳を獲得することができる。

  政治・経済活動においても現実的な施策(しさく)と並行して、理想社会実現の模索(もさく)も推し進められなければならない。目先の現実にのみ囚(とら)われていてはならない。人間の真価(しんか)は全一調和世界の実現過程(じつげんかてい)においてこそ発揮(はっき)されうる。

  図式的(ずしきてき)に見れば、国内的・国際的に、8割の住民は日常生活に無自覚的に埋没(まいぼつ)しており、1割は際限のない欲望追求に走り、残る一割が精神性に目覚めて理想社会の追求に励(はげ)んでいる。ところで、本質的視座(ほんしつてきしざ)から見れば、欲望追求に走る一割の人間たちがもっとも反本質的でありもっとも反生命的かつ反社会的である。この全一調和(ぜんいつちょうわ)を壊(こわ)すものたちを一人でも減らすことが地球社会の緊急課題(きんきゅうかだい)である。また、無自覚な大衆を全一的な精神的目覚めへと招き寄せることも並行して遂行(すいこう)されるべき大事な課題である。

  地域社会ネットワーク型全一調和世界。理想的な地域社会づくりを基盤とした理想世界。上からのユートピアではなく、下からのユートピア。個人的目覚め、地域社会的目覚めを原動力とした、ネットワーク型ユートピア。

  地域社会の精神風土(せいしんふうど)を変えていく。考え得るあらゆる角度から、あらゆる方法を駆使(くし)して地域社会の精神風土を変えていく。対立的競争的精神風土から全一的協調的精神風土へと変えていく。自己中心的相互不信から本質的親和関係社会へと変えていく。

  さまざまな要因(よういん)によって精神が歪(ゆが)みに歪んだ果ての、人間の多様な悪意に対していかに対応していくか。また、人の心に根深く潜(ひそ)む嫉妬心(しっとしん)に対していかに対応していくか。



  I would limit my response to an assertion that much of the evil which we experience is caused by man’s folly and ignorance and also by the misuse of his freedom.

  I still contend that the love of money is the root of much evil and may cause a man to become a gross materialist. I am afraid that many among you are more concerned in making money than in accumulating spiritual treasures.

  I have discovered that the highest good is love. This principle is at the center of the cosmos. It is the great unifying force of life. God is love. He who loves has discovered the clue to the meaning of ultimate reality; he who hates stands in immediate candidacy for nonbeing.

  You will then discover that unarmed love is the most powerful force in all the world.

MARTIN LUTHERKING, JR. Strength to Love



  世界を単なる対象として眺めるだけではなく、全一的自己として行じていく。すなわち部分的限定的自己ではなく、自らが全一的本質そのものとなって自みずからを行じていく。

  全一調和を無視したあらゆる行為は反本質的である。今や、全体(本質)への配慮(はいりょ)を欠いた、個人的な楽しみの自由追求に偏かたよりすぎた現代人の生活のあり方が問題なのである。

  ただ単に毎日を習慣的に生活しているというだけでなく、人生の、そして人間社会全体の最高最善を目指して生きる。

  現代の日本人には保身的(ほしんてき)な事なかれ主義者が目立つ。眼の前で何かが起こっていても傍観(ぼうかん)しているだけで面倒(めんどう)なことや事件などに関わりたがらない。とくに若い人たちにそれが目立つようだ。一般的に人間としての情感と勇気が稀薄なような気がする。もちろん、それも、ボランタリー精神旺盛(おうせい)な一部の良心的な若者たちを除いての話ではあるが… 

  精神的衰退(せいしんてきすいたい)を示す、事なかれ主義蔓延(まんえん)社会。日本人の心はお互いにばらばらである。戦前戦中の、お上からの強制ないしは社会的に演出された一体感への反動からか、今は一体感のかけらすら見ることができなくなってしまった。全体観を失った個人主義的自由の行き過ぎ。

  お金で安易(あんい)な幸せを手に入れようとし過ぎる現代人。精神的側面の大切さを忘れて利己的な安逸(あんいつ)に走り過ぎる現代人。手っ取り早いその場限りの楽しみを追い求め、時間のかかる面倒な心の成長などは初手(しょて)から避けて無視する現代人。しかし、本当の幸せは心を通してのみ得られ、本当に幸せな社会も心の成長を通してのみ得られる。

  大自然との一体感、家族との一体感、地域社会との一体感、国際社会との一体感、自己自身との一体感、生きとし生けるものとの一体感、<本質=聖なる無=PLEROMA>との一体感。

  大衆の精神性の開花なくしてユートピアは実現しない。では、いかにして大衆の精神性を開花させていくか、それが問題だ。目先の生活に囚(とら)われている大衆の心をいかにして永遠無限神秘の本質的聖性へと目覚めさせていくか。身体的自己を真の自己と思い込んでいる大衆の閉じられた心を、いかにして境界(きょうかい)のない無限定(むげんてい)ないしは無限底(むげんてい)の真法界(しんほっかい)に招き入れるか、それが問題だ。




     2003.07.24



  ガチガチの理想主義はお嫌いや? ふつうに考えれば、理想主義の好きな人はあまりいないわよね。だけど、なぜ? どうしてなの? それは誰だって自分の自由を束縛(そくばく)するような臭いのするものや、面倒(めんどう)そうなことに対して拒否反応を起こすものだから…  人間誰だって自分の好きに生きたいというのが本音(ほんね)のところ。だから、できるだけ自分の自由を束縛するものを遠ざけたいと思うものなの。それが自然の感情なのよね。それで、ちょっと面倒な雰囲気(ふんいき)のただよう理想主義を嫌う人が世の大勢(たいせい)を占めるのも無理はない訳。だけど、それでうまくいけばいいんだけど人生そんなに甘くない。みんなが自由に好き勝手を始めれば、たちまち社会は阿鼻叫喚地獄(あびきょうかんじごく)に成ってしまう。一瞬として気の休まるときはない。みんな力ずくで自分の気儘(きまま)な自由を主張しあうから、対立とたたかいの止む時がない。ルールもへったくれもないから、人は不安と恐怖の中で自己防衛しながら生きていくしかない。幸せな家庭や安心な生活なんか望めない。いつ自分が、そして家族が襲われるか知れやしない。殺人と傷害と強盗と詐欺(さぎ)と強姦(ごうかん)と自然破壊が日常茶飯事(にちじょうさはんじ)になる。人の平均寿命は極端に短くなり、一日生き延びられれば幸せの極(きわ)みといった状態になる。そんな社会に一体誰が住み続けたいと思える?もしどこかに、私はどうしてもそんな社会がお望み、と言う人がいたら、かわいそうだけどその人の神経、確実に病んでる。それはもうふつうの感覚じゃない。一度専門家に診てもらったほうがいい。といったようなことで、野放(のばな)しの自由は危険極まりない。そこにはどうしても秩序を守るためのルールが必要になる。だけどそのルールにもさまざまな色合いのものや段階がある。どこまで個人の自由を許すのか、どこまで身勝手を許すのかといった考え方の違いによっていろいろなルールが考えられる。今の日本のような、アメリカ型の資本主義的な、物質的欲望追求の自由競争的ルールから、精神性の高さに価値を置く本質的な全一調和的(ぜんいつちょうわてき)なルールまで、秩序と自由、物質的豊かさと精神的豊かさ、平等と格差(かくさ)や差別、などといったさまざまな要素(ようそ)のそれぞれの程度(ていど)の組み合わせ方によって数多くの社会的ルールが考えられる。そんなルールの中からいったいどれを選ぶのか、一人一人自分で責任を持って選ばなければならない。そして、ガチガチの理想主義者は、精神的価値を最優先(さいゆうせん)にした、市民全員が物質的および精神的に絶対平等の、本質的豊かさを求める。そこでは最高の地域社会を実現しようと皆で協力し合う。人間の価値を貨幣なんかではからないでその精神性の高さではかる。人と人との間では心と心の関係をもっとも大切に考える。そして、物質的には節度(せつど)を弁(わきま)えて、自然に負荷(ふか)をかけすぎないためにも、自分たちの必要を十分に満たすだけの物が確保できればそれ以上は望まない…

  こんな理想主義はお嫌? やっぱ気ままがよくて、少しでもウザったいことはお嫌? 

  …それでもわたしたち、理想主義が人間として幸せに生き延びるための最高・最善の戦略(せんりゃく)だと思うわ。



  この俗界では、人間どうしの関係は手段の関係にすぎません。しかし私たちが求める理想の社会は理性的な存在からなる社会であって、そこでは理性的存在それぞれが、他人にたいしてちょうど自分自身にたいしてそうであるようなものとなるのです。

   シモーヌ・ヴェイユ 



  An enormous amount of the earth’s resources are consumed at businesses, and an enormous amount can be saved.

   from 50 Simple Things You Can Do to Save the Earth



     2003.07.25



  人生で一番大事なことは、ほんとの自分を生きるってことだと思うわ。ほんとの自分を生きていると思えれば、そのとき生きていることに十分充実感が味わえるはず。生きていることが心の底から楽しく、そのことに何となく感謝したくなるほど人生に対して肯定的になれる。だけど、反対に誰かに強制されたり、いろんな事情やなんかのために仕方ないっていう諦(あきらめ)から何かをしているときは、生きていることが厭(いや)になったりもする。そして、こんなことをするために自分はこの世に生まれてきたんじゃないと思う。人は、誰でも、まず何よりもほんとの自分を生きるためにこの世に生まれてきたのよ。

  だけど、人がほんとの自分を生きたいと思っても、ほんとの自分って何かが分かっていなければそれも無理、できない相談というものだわ。まずは、ほんとの自分って何なのか知らなければならない。

  それでは、ほんとの自分って、意識のあるこの生きている身体のこと?でも、この意識する身体だけでは人は生きていけない。人は、水を飲み、空気を吸い、食べ物を食べ、着物に身を包んで暖かくしたり、それから家やなんかも必要だし、太陽の光も、それに太陽や地球を生み出した銀河系も、銀河系を生み出した宇宙だって必要だわ。さらに考えれば、その宇宙を生み出した宇宙の源(みなもと)も必要になる。こんな風に考えていけば、本当の自分って、結局、この世の在りと在るすべてのものに他ならないということになってしまう。この世にあるすべてのものの一まとまりが自分で、結局、この世に自分でないものは何もなく、自分に関係のないものも何もない事になってしまう。つまり、自分って世界そのもので、『 世界=自己 』だということに気が付いてくる。別の言葉でいえば、ほんとの自分は世界の網(あみ)の目の一つであり、そしてその一つの網の目を通して世界の果てしなく広い網全体とつながっていて、結局、自分と世界とは切り離すことのできない一体的な関係にあるということになる。ということなら、ほんとの自分を生きるって、世界との一体性を生きるっていうことになる。つまり、ほんとの自分を生きるってことは社会を無視して自分の好き勝手をすることなんかじゃなく、その反対に、この愛(いと)しい大切な自分を通して世界という大きな自分がもっとも生き生きと輝くように生きることだっていうことになる。そしてそんなほんとの自分を生きる道の先には、ユートピアが見えてくる。

  結局、ほんとの自分を生きるって、この世に在りと在るものの、それから、この世に生きとし生けるものの本質それ自体が、生き生きとそして豊かに輝くようなユートピアに向かって生きることなのだと思われてくる…



  Seymour once said that all we do our whole lives is go from one little piece of Holy Ground to the next.

J.D.Salinger Seymour - An Introduction



  天災によるもの以外のほとんどの不幸は、人間の愚かしさに根付いている。本当の幸せは、個人的社会的な真の知恵の積み重ねによってしか得られない。



     2003.07.26



  むやみに心を起こすことなく、必要に応じて心を起こす。心を起こさなければ、世界は自己と一体であり、円満である。心を起こした瞬間に世界は自己の意識に対応して二極分解(にきょくぶんかい)する。美を意識すれば醜(しゅう)が立ち現れ、善を意識すれば悪が立ち現れる。また、利己的な貪(むさぼ)りの意識が立ち現れれば、世界は自己に対する他者として立ち現れ、また貪りに対する手段として立ち現れる。人間も生物であるから、生き延びるためには自ずから起きる心のままに自然を手段として命の糧(かて)を得なければならない。しかし、必要を満たしてしまえば心を消して、清らかな自然との一体性を生きるべきである。然(しか)るに、現代では、個人的に(かつ社会構造的に)四六時中(しろくじちゅう)貪(むさぼ)りの心を起こし続けて自然を搾取(さくしゅ)し、他者を搾取し、数限りない二極対立を世の中に起こし続けている。本来、円満で清らかな大自然を現代人の自己中心的な執着心(しゅうちゃくしん)が汚し続けているのである。このように、社会がすでに構造的(こうぞうてき)に反本質的(はんほんしつてき)である以上は、その反本質性を解消するまでは、不本意(ふほんい)ではあるが、心を起こして、人の心をそして同時に社会の構造を本質化し続けていかねばならない。自分だけが無心(むしん)の至福(しふく)に安んじているわけにはいかない。

  現生人類(げんせいじんるい)は、欲望の本能的抑制機能(よくせいきのう)の箍(たが)の外れてしまった生き物である。そのような生き物に、自然状態に近い自由を与えれば、社会は不調和と無秩序の方向に限りなく傾斜(けいしゃ)する。もはや、本能的な抑制機能を失った現生人類に、それを許せばそのまま欲望の暴走を意味するような自然的自由を許しておいてはならないのである。現生人類には欲望の本能的抑制機能に変わる新しい仕組みが必要である。それが本質的な知恵であり、また、本質的な社会システムであり社会構造である。それがユートピア運動を引き寄せるのである。しかるに現代資本主義は、現生人類の本能的な欲望調節機能(よくぼうちょうせつきのう)の機能停止状態(きのうていしじょうたい)を無視して、更なる欲望の自由を追求する破壊的システムとしてさらに世界にはびころうとしている。現代資本主義は人類を破滅に導く魔(ま)のシステムである。このことに人は一日も早く気がつき、一日も早くそれをより本質的なシステムへと代えていかなければならないのである。人類の存亡(そんぼう)はこの一点にかかっている。

  この人間世界においては、永遠本質の支えがあってこそ、現実社会に調和と安定がもたらされる。永遠本質(えいえんほんしつ)の基盤(きばん)の上に、人間社会は築き上げられなければならない。永遠本質とはプラトンにおいては善のイデアであり、仏陀(ぶっだ)においては慈悲と知恵であり、老子(ろうし)においては道である。そしてこれら全てに共通しているのは、個人的な自己中心性を超越(ちょうえつ)した、全体的完全性を顕(あらわ)していることである。現代世界においては、あるいはそれは全一バランスであり、絶対平等であり、最高次(さいこうじ)の精神性であると同時に完全調和の地球社会システムであるとでもいえようか。

  人の感情の中でもいちばん卑(いや)しい、利己的な貪(むさぼ)りの感情の上に築き上げられた、現代の経済至上主義的な社会システムをいつまでも続けていけば、人間の精神性が低下していくのは当たり前。地球社会が、動物世界以下の無秩序と精神的異常性と相互不信と不平等と自然破壊の蔓延状態(まんえんじょうたい)に陥(おちい)ってもすこしも不思議じゃない。いくら小手先(こてさき)だけのその場しのぎの対策をこうじ続けても、社会の構造それ自体が矛盾(むじゅん)に満ちたものであれば、すべては無駄というもの、悪くなる一方だ。そして時が経てば経つほど取り返しの付かない事態(じたい)に陥る。もがけばもがくほど事態は悪くなる。まさに蟻地獄(ありじごく)に落ちた蟻と同じだ。人間世界の未来は、人間一人一人の意識の持ち方と、地球社会のシステムのありかたにかかっている。もう、一日も早く、現在の、人間の劣情(れつじょう)に基盤を置くような経済至上主義的社会システムを清算(せいさん)して、本質的全一調和的な精神性と、本質的全一調和的な地球社会システムに基づいた未来社会を築き上げていかなければならない。



  全体はすべてのなかに輝きをかえす。けれども、安んじて一般化するものとしてではまさになく、ユートピア的に集中化するものとしてのみ、全体の輝きをかえすのだ。

  エルンスト・ブロッホ 『この時代の遺産』より



  われわれはもはや始原的(しげんてき)な本質をもたず、認識がどんなに遠く過去にさかのぼろうとも、つねに‐すでに‐所与(しょよ)なるものを、もっている。もはや単純な統一体をもっているのではなく、構造化された複合的な統一体をもっている。したがって、もはや(どのような形式においてであろうと) 始原的な単純な統一体をもっているのではなく、構・造・化・さ・れ・た・複・合・的・な・統・一・体・の・、つ・ね・に・‐す・で・に・‐所・与・な・る・も・の・をもっているのである。 

  ルイ・アルチュセール 『マルクスのために』より



     2003.07.27



  どのような状況においても、まずその全体に心を配ること。全体の構造に意識を向けること。家庭においても、学校においても、企業においても、地域社会においても、地球社会においても、その全体の構造に心を配ること。そして、全体調和、全体バランスを目指すこと。あらゆる弊害(へいがい)は一方への偏(かたよ)りから生じることを認識して、その偏りを生まないように配慮(はいりょ)すること。そして、間違っても私利私欲(しりしよく)ないし自己中心に走らないこと。

  清らかな心を起こす。透明な心を起こす。二極化(にきょくか)しない円満な心を起こす。本質そのものを生きる根源の心を起こす。穢(けが)れなき慈悲と知恵の心を起こす。聖なるものへの畏敬(いけい)と感謝の心を起こす。無心の心を起こす。

  戦後日本の、心のこもらない小手先だけの政治によって、今や、日本人の心は利己心と相互不信でばらばらになってしまった。そんな、人間らしい心が稀薄(きはく)になってしまった社会において今、経済的に追い詰(つめ)られた40、50歳代の自殺者が増え続けている。健康問題や生活苦などで毎年3万人以上の自殺者を出す政治など言語道断(ごんごどうだん)である。長きにわたる自民党の物・金・力に偏(かたよ)った、精神性の低い政治の付けがここに回ってきてしまったのだ。今や、自民党的な意識構造も社会システムも、その欠陥(けっかん)ばかりが目立ち、それはもう日本の新しい時代の到来(とうらい)を妨(さまたげ)るお荷物以外のなにものでもなくなった。歴史観未来観の稀薄な主体性の乏しい近視眼的な日本人の、その心の卑(いや)しい部分が政党化したような自民党を、一日も早く解体して、もっと人間らしい誇りのもてる、精神性豊かな瑞穂(みずほ)の国を創り出していくべきである。間違っても、卑(いや)しい心の日本を、このままいつまでも構造的に放置(ほうち)しておいてはならない。われわれ一人一人が、もっと人間らしい心と礼節(れいせつ)を、責任を持って回復すべきである。物・金・力への偏(かたよ)りからは本当の人間も本当の国も本当の地球社会も生まれない。人間的に豊かな精神性が人間世界を主導(しゅどう)すべきである。

  精神性低き人間は単なる私欲(しよく)の塊(かたまり)に過ぎない。私欲の塊は世に多くの災いをもたらす。社会に生きる以上、生涯にわたって自らの精神性を高め続けることは人間として最優先の義務である。

  近未来の理想的地球社会に相応(ふさわ)しい意識と組織の協同構築(きょうどうこうちく)。



  しかし、大部分の、そしてより賢明な人たちはいまあげたようなものなどではなく、唯一の、知られざる、永遠無量(えいえんむりょう)で、説明不可能な、ある神的存在を信じています。それは人間の精神を超えており、物体としてではなく能動力(のうどうりょく)によってこの全世界に遍(あまね)く充満しているもので、これを彼らは父と呼んでいます。あらゆるものの起源、成長、進歩、変化、究極目標(きゅうきょく)はこの唯一のものの意中にあるとし、それ以外のなにものにも神の栄誉(えいよ)を与えません。   

   トマス・モア 『ユートピア』より



     2003.07.28



  高層の ビル犇ひしめきし 野蛮やばんかな

  珍しく 人間らしき 人に会い

  物あふれ 娯楽あふれて 心枯る

  あるいはわれわれは人類史的大転換期を生きているのかもしれない。これまで人類が犯してきた限りない愚行と、積み上げてきた限りない知恵とを共に再吟味(さいぎんみ)して、その結果を高次統合(こうじとうごう)し、これまでより精神的に一段高い文明世界へと移行するための試行的過渡期を生きているのかもしれない。

  普遍的本質的な最小限のルールと、多くの協働的連携による新しい地球社会の協同構築。



  It is the near absence of any idea that there can be truths, rules, principles or morals that always apply, no matter what the circumstances. Most Westerners as well as most Asians who have stayed for any length of time in Japan will be struck by this absence; and some Japanese thinkers also have seen it as the ultimate determinant of Japanese public behaviour.

 Karel van Wolferen The Enigma of Japanese Power




     2003.07.29



  人類史上において無念の思いを残してお亡くなりになった無数の御霊(みたま)に哀悼(あいとう)の誠を奉(ささ)げます。人間の無知に因(いん)する心無い愚行(ぐこう)をご寛恕(かんじょ)ください。これからそのようなことが少しでも無くなるように努めてまいります。どうかその御霊(みたま)をお鎮(しず)めいただき、共に、われわれ人類のより良き未来のために祈り、その行く末をお見守りくださいますよう切にお願い申し上げます。

  精神的な喜びを皆で分ち合って生きる人生。精神的な喜びは、眼差しだけでも分ち合えるし、また、食べ物の形で、あるいは物の形で、また、言葉だけでも、思い遣りの心だけでも分ち合える。それから知恵の形で分ち合うこともできる。精神は一切の統合機能であるから、精神的な喜びもあらゆる形で表すことができるのである。そのような精神的喜びを分ち合うことのできる社会システムをこの地球上に現実化していく。

  自分自身を含んだ全人類の根深き無明からの解放を祈願(きがん)する。

  ユートピア実現の願いは、この世からできる限り悲しみを減らし、できる限り喜びを増やしていくことである。



     2003.07.30



  人間社会においては、自然に成るものは何もない。社会は自覚的に構築され維持されなければならない。

  人智(じんち)の粋(すい)を集めたユートピア―――ユートピアは一つの偉大な芸術作品のようだ。さまざまな角度から資料を集め、それをよく吟味(ぎんみ)して本質的に価値のあるものだけを残し、細心の注意を払いながらそれらを組み立てていき、一つの統一的な構築物へと仕上げていく。そして、いったん出来上がると、それを再吟味し、足りないところを補い、不備(ふび)な点を直して、再び構築し直してみる。そのような過程を何度か経て、どうしても思う結果が得られない場合には、最初からもう一度やり直してみる。そのように自覚的に、意志をもって、細心の注意を払いながら、果てしのない努力精進(どりょくしょうじん)の果てに、一つの、真にその名に値する芸術作品が完成する。それと同じように、ユートピアもまた、人間の真実で粘(ねば)り強い努力の果てに実現され得る。 ユートピアは人類の精神が生み出すことのできる最高の本質世界である。

  現代人は貪(むさぼ)りと不満の名人だ。むしろ、感謝と知足(ちそく)の名人にこそなるべきなのに。

  本質的実存の自由と、物質的身分的(物・金・力)平等と。

  人の心を踏みにじる社会システムを改善していくこと! 自然を破壊する社会システムを改善していくこと! また、利己的な人間の心そのものを清めていくこと!



     2003.07.31



  大自然の汚れ、すなわち水、空気、大地の汚れは、そのまま人間の心の汚れである。

  未来は、歴史に盲従(もうじゅう)する者たちではなく、歴史を超えて進む者たちのものです。

  現代における言葉の乱れは、社会を統合する意味と価値の体系であるという言葉の本質を見失って、単なる情報伝達の手段ないし道具と見做(みな)し始めたことに因(いん)している。本質的な意味と価値を失った言葉は安っぽくなり、恣意的(しいてき)に弄(もてあそ)ばれ濫用(らんよう)され操作され、意味なくその姿を変えていく。

  言葉を弄(もてあそ)ぶ者は、聖なる命を弄ぶ者だ。

  絶対時、絶対自己、絶対世界、絶対展開。絶対とは完全であることであり、あらゆる一時的断片的(だんぺんてき)相対的(そうたいてき)幻想性(げんそうせい)を超えて、永遠なる真法界(しんほっかい)と一体である。結局のところ、真にして唯一の自己は絶対自己であり、真にして唯一の時間は絶対時であり、真にして唯一の世界は絶対世界であり、真にして唯一の存在のあり方は絶対展開である。この世の何一つとして、また、この世の誰一人としてこの絶対世界から離脱することはできない。この絶対世界に帰依(きえ)し、あらゆる世俗的迷妄(めいもう)を超え、我執(がしゅう)を放下(ほうげ)して、この絶対時(ぜったいじ)に住(じゅう)する。

  絶対世界と一つであれば、この生死(しょうじ)の一切が調(ととの)う。


  風吹けば 吹かれしままに 夏柳


   ・・・ホームページから転載・・・

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