No.3607 聖PLEROMA




        聖PLEROMA



  聖なるPLEROMAから人類の本質的無知と貪りまでの、意識と現象の全スペクトルの統合的認識。

  聖性から非道までの統合的認識と本質実存。

  全スペクトルのPLEROMA統合! あらゆる体験を聖統合する全一統合視座の確立。

  この宇宙の全現象の究極目的は本質の完全展開である。人間の究極目標もまたわれわれの内なる本質の完全展開でなければならない。その目標達成のための統合的認識と本質実存。

  現実世界の無限多様性の聖PLEROMA統合世界! ユートピア!

  永遠の今において、『自己=世界』の一切が聖統合される。もはやいかなる体験も聖なる体験にほかならず、聖PLEROMAの顕現にほかならない。

  今や、聖PLEROMAの立場からこの世の日常が体験される。自我の立場からではなく、聖なる本質の立場からこの世の日常が体験される。

  聖PLEROMAの立場から体験される日常はすべてが一体の聖なる世界である。そして、心身が聖なる感覚に包まれる。

  聖PLEROMAの視点からこの世の有様が眺められる時、すべては聖なるものである。あらゆる自然現象も、あらゆる人間の行為も、あらゆる思考もすべては究極的に聖なるものである。しかしその時、聖PLEROMAの立場から人間の行為に対してはそれが聖PLEROMAに相応しいものであるようにと祈るのである。聖PLEROMAの立場から常に人間の行ないの本質化を祈るのである。

  聖PLEROMAの視点から世界を眺める時、この世の本質が顕わになる。

  聖PLEROMAの視点から、この世は聖地である。だからわたしたちの人生もできる限りその聖地に相応しく生きられなければならない。

  聖PLEROMAの視点から、大自然は聖なるものである。古代日本人やアイヌ民族やネイティヴ アメリカンなどが大自然に抱いていた畏敬と感謝の念をわたしたち現代人も共有すべきである。

  世界観が人間の価値をその根底から決定付ける。永遠本質に基づいた正しい世界観を持つことが人間として何よりも大切である。

  聖PLEROMAの視点から見る時、人間の自己中心的貪りがもっとも反本質的である。

  聖PLEROMAの視点から見る時、人間の自己中心的貪りの極まった現代がもっとも反本質的な時代である。

  わたしたちのいのちを支えるこの宇宙の一切が聖なるものである。宇宙時空、銀河、太陽、光、大地、海、大気、草木、哺乳類、鳥類、昆虫、海中生物、微生物......

  恐ろしいまでに軽くなってしまった現代人の生。内容が空洞化し、その意味と価値が甚だしく損なわれてしまった現代人の生。そのようなわたしたち現代人の生をその本質に相応しく聖化していかなければならない。

  自らの人生を安っぽいものにしてしまった現代人。聖なる本質が見失われてしまった現代。


  聖なる感覚は全一感覚である。

  聖なる感覚は永遠感覚である。


  この世界を、そして人生を、聖PLEROMAとの関連で把握し、生きる。

  聖PLEROMAの視点から世界を全体把握する。 その時、一切万象の本質が顕わになり、人生の本質が顕わになる。

  本質世界においてはこの世の一切万象が一体となって転じていく。

  本質世界においてはこの世の一切万象が聖化される。


  聖PLEROMA統合世界は美しい!


  聖PLEROMAの視点から現代世界の政治、経済、教育、日常生活を批評していく。

  聖PLEROMAの視点から地球社会をユートピア化していく。

  聖PLEROMAの視点から地球社会を心温まる空間にしていく。


  現代というこの反本質的時代に世界の隅々にまで聖性の新風を吹きわたらせていく。

  聖PLEROMAに相応しい聖なる地球社会システムを築き上げていく。そのための地球社会のトータル コーディネーション。

  現代人にはどこか驕(おご)りとだらしのなさがある。思い通りに人間の気ままを押し通そうとする強引さと少しも後のことを考えない思慮の足りなさがある。

  存在の聖性、存在の本質を中心として再構築される地球社会!

  愛する子供たちのために最高の地球社会を残していく、それが親たるものの責任であり願いでもある。

  大自然に対する畏敬の念と感謝の念のほか、わたしたち現代人にもっとも足りないものの一つは、人類同胞に対する、と同時に自らの命を包みまたそれを生かしてくれてもいる母なる自然の健康維持に対する強い責任感である。現代人は自己の欲望追求に囚われていて、自分や自分の家族以外の世界にほとんど無関心であり、そして哀れむべきことに、その世界に対する恐ろしいまでの無関心さによって、これまた見事なまでの無責任さをも発揮しているのである。そして、社会環境の異常化の流れを放置し、また自然環境のさらなる破壊を食い止めるための本質的かつ抜本的な施策を講じることもなく実質的に放置し続け、今もなお相変わらず資本主義という反本質的社会システムの中で自己の欲望追求的日常生活にふけっているのである。

  わたしたち現代人の、このとりとめのない生き様を何とかしなければならない。

  現代人の特徴はその感覚的、刹那的、表面的、享楽的な生き様にある。そこにはいのちの本質的な優雅さがない。また、人間が何千年もの長きに亘って培ってきた精神の深みと奥行きと高貴さがない。すべてが放埓で取り留めがない。

  聖PLEROMAは本質的な知恵すなわち精神性の光り輝く地球社会の実現を祈り続ける。

  聖PLEROMA的人間関係。人生の幸不幸の主要部分を決定付ける、社会での人間関係の本質化。

           ○■○■○■○

  現代的人間関係:個人主義的、競争的、対立的、断絶的、無機的、刹那的、表面的、物質的、享楽的、感覚的、身体的関係。

  聖PLEROMA的人間関係:全一的、協同的、親和的、有機的、永遠的、本質的、創造的、精神的関係。

  現代社会では人間関係は不健康な精神的ストレスの主要な因子である。一方、聖PLEROMA的ユートピア社会では、人間関係は地域住民相互の精神性をさらに活き活きと輝かせ合う精神的悦びの主要な源泉なのである。

           ○■○■○■○

  聖PLEROMA社会では全一的精神と全一的精神とが共鳴し合う。

  聖PLEROMA社会では人と自然との、そして、人と人との関係のあり方が浄らかに全一調和する。

  聖PLEROMA社会では、現代社会におけるような閉じた心と心とのよそよそしい関係ではなく、全体世界に向かって開かれた偏りのない心と心との親和的な関係に満ち溢れる。



    ・・・ホームページから転載・・・


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