No.3619 希  望


    希   望


 すでに起きてしまったこと、そして、今起きつつあることは変えることのできない宿命としてわたしたちの上にのしかかってくる。しかし、これから起ころうとしていることに対してはまだわたしたちの意思で変えていける可能性がある。そこに希望があり、わたしたちの意志の働く余地もある。

 過去と現在は宿命であり、未来は希望である。宿命に押し潰される人生にはいかなる未来もなく、宿命を超えて未来を切り拓いていく人生にこそ夢も希望も生まれる。結局、わたしたちの人生を決定付けるのは、過去から現在に及ぶ宿命に向き合うわたしたち自身の心の姿勢にあるといえる。

 宿命を受容しつつ、それを超越していこうとする人生には希望と明るい未来も生まれてくる。

 一般的に、過酷な人生を送ってきた人々にとっては、過去の宿命を超えてより良い未来を切り開いていくことは思う以上に難しいと思われる。多くの不運な人たちは、これまでの過酷な人生にすっかり打ちのめされていて、未来に希望を抱く余裕も気力も失ってしまっているのである。

 住民が宿命に押しつぶされている社会では希望に満ちた本質社会( ユートピア )は生れにくい。

 わたしたちにとって眼前の現実は常に宿命であるが、同時にそれは、これから切り開かれるべき夢と希望の基盤であり源でもある。宿命としての現実がなければ、希望としての未来もない。

 この世に在るものはすべて、宿命として、今、ここに、このようにして在る。しかし、わたしたち人間の人生は本来、その宿命をそれぞれの夢と希望によってみずからが自由に変えていくべきものとして与えられているのではなかろうか。

 みずからの宿命を受容しつつ、それを夢と希望によって超えていく精神性と、
夢と希望に満ちた生活を共にすることができる家庭環境と社会システムの必要性。

 過去のあらゆるできごとを、そしてまた、眼の前で今起こりつつあることのすべてを、より良い未来を築き上げるためにのり超えられるべき夢と希望の源として受容する。

 結局、あらゆる宿命も、本質的に夢と希望(の基盤)に他ならないのだ。

 わたしたちが生きている限り、人生はいつも本質的希望として存在する。
 人はこの世に宿命として生まれ、希望として生きていく…

 わたしたちは一人一人それぞれ別々の宿命を生きている。その宿命は、あるいは恵まれたものであったり、過酷なものであったりする。そしてその宿命の違いは、それぞれ社会的あるいは家系的な背景を引きずるものであったり、また個人的な心の姿勢に根ざしたものであったりもする。いずれにせよ、わたしたちの宿命のすべては個人的、家系的、社会的にお互いに密接に関係し合っており、同時に、常に未来に向かって開かれてもいる。

 わたしたちは今や、個人間、地域間、民族間、国家間、人種間、宗教間、文明間などで積み重ねられてきた過去の数え切れないほどの対立抗争の恨みつらみを超えて、より理想的な地球社会を切り開いていく必要がある。人類存亡の危機に直面しているにもかかわらず、いつまでもお互いの自己中心的得失にこだわっていてはならない。より本質的な広やかな心と知恵をもって、共に人類の新しい未来を築いていかねばならない。

 世界に向かって、そしてまた、永遠に向かって開かれた心。

 あらゆる人の共通の幸福のために祈り働くこと、生きとし生けるものたちの繁栄のために祈り働くことが、本質的に、自分自身のみならず、親兄弟をも、もっとも大切にし、さらにはこれまでの恩を返し、孝をつくすことにもなる。

 みんなが共に幸せになっていく。全人類が一緒に幸せになっていく。全地球生命系が一体となって幸せになっていく地球世界!

 希望は過去・現在の宿命を超えて、みずからの本質を未来に向かって展開したいと希(こいねが)う。

 人生は宿命を生きる希望である。わたしたちが宿命から解き放されることは永久にないだろう。しかし、同時に、わたしたちは生きている限り常にその宿命を乗り越えていこうとする本質実存者であり続けたいと願うだろう。

 この世は宿命と希望の螺旋階段。人生は宿命と希望の螺旋行路。あるいは、わたしたちは宿命の大海原を漕ぎ行く希望の小舟…

 人々の宿命を希望に変えていく社会システムとしてのユートピア。

 また、人々の希望が集まれば社会はユートピア化する。

 希望のネットワーク世界!!!


 希望のユートピアでは、これまでの自己中心的に限りなく奪い取り貪り尽そうとする破壊の人類史から、全一調和的な、お互いに与え合い本質を豊かにし合う創造の人類史へと変貌していく。

 全生命系、全人類のトータル デザインに基づくユートピア建設! 永遠本質に根ざした希望のユートピア。

 希望のユートピアでは、人々の宿命がまわりの住民の心のこもった善意によって和らげられる。

 希望のユートピアでは、善意がエゴイズムを圧倒する。

 希望のユートピアでは、人は誰も他者に従属することなく、ただ大自然の本質的法則にのみ遵う。

 希望のユートピアでは、もはや誰も恨み節を歌わない。

 希望のユートピアでは、人々の間を行き交う情報が本質的真実に満ち溢れている。

 希望のユートピアでは、人々は誰もお互いに敵視し合ったり対立し合ったりすることがない。

 希望のユートピアでは、人々は少欲知足を楽しんでいる。

 希望のユートピアでは過去・現在・未来を統合した永遠感覚を生きる。

 希望のユートピアでは、人々の心は全一的無限に向かって開かれている。

 希望のユートピアでは、人々の心も、眼差しも、表情も、言葉も、しぐさも、すべてが本質的な優しさに満ち溢れている。

 希望のユートピアでは、人々は人間の本質、すなわち、いのちの祈りと精神の健全な働きに思いを寄せて生きる。


 宿命ではなく、常に希望を生きること。希望は本質すなわちもっとも大切なことを最優先させながら全一調和的な最適状態を追い求める。

 希望を生きることは、本質すなわち直心( じきしん )を生きること、ごまかしや逃げのない直心を生きること、ご都合主義的な要領のよさを生きるのではなく、まっすぐに人生の最高を生きようとすることである。

 みんなでそれぞれの人生の最高を生き合う希望のユートピア。

 ただの一人をも、何もいいことのない人生だったと言わせることのない希望のユートピアづくり。一人の例外もなく、すべての人には本来、それぞれの人生の最高を生きていく価値と資格がある。

 物・金・力によって動いている現代世界を、本質的な知恵である精神によって動く世界に変えていく希望のユートピア。

 希望のユートピアでは物・金・力が精神( 本質智 )によって完全にコントロールされている。

 精神によって統合された世界( ユートピア )を築いていかない限り人類はいつの日にか自らの愚行によって滅びてしまう。

 真の精神文明世界を築いていくことが本質の希望であり祈りである。

 理想世界を創っていくことは決して退屈なことなんかじゃない。

 理想と現実のギャップをいかに埋めていくか、それがわれわれ人類に課されたの最大の課題だ。

 本質世界実現の祈り!

 欲望の世界から知恵の世界へ! 欲望と知恵の全一バランス! 知恵統合、精神統合、本質統合世界。

 悦びにも種類がある。身体的感覚的( 五感に快い )悦び、知的( 知の地平線の拡がりや真理の発見の )悦び、それから精神的( 全一統合的自己を生きる )悦びあるいは魂( いのちの根源・本心 )が味わう悦び。

 魂は真実自己のアルファであり、精神は真実自己のオメガである。魂はいのちの根源の渾沌であり、精神はいのちの究極的統合である。

 最高精神はまた最も深い心であり最も広い心である。

 本心を生きることができるユートピア。ところで、虚偽で塗り固められた現代社会では、人々はほとんど自分の本心を生きることができない。現代人は本心(本質)を見失って迷走し続ける。

 魂は純粋な清浄心( しょうじょうしん )ないしは無心であり、精神は最高智ないしは全一統合心である。

 都会では大自然に対する畏敬と感謝の念のかけらすらも感じられない。人間の手になるあらゆる建造物も利潤追求の手段であり材料であるに過ぎない。そこには本質的な美がなく、どこかに心の卑しさが漂っている。ただわずかに神社や寺院や庭園などに本質的な美しさが感じられることもあるといった程度だ。

 現代では教育ですら、将来、経済的により豊かな生活を勝ち取るための手段に過ぎない。今や現代社会では、本質を髣髴( ほうふつ )とさせるものなどほとんどどこにも見い出せない。誰も本質のことなど真面目に考えたことすらないのだ。

 本質コンシャスな人生の追求。本質を意識化し、その意識化した本質を生きていく。意識化された本質は宿命を超えて本質の実現を求める。

 一部の日本人のマナーの悪さ。心の爛( ただ )れたような言動。

 少年犯罪の急増! この国でいったい何が起きているのか? 大人が問題なのか、それとも子供たちが問題なのか、それとも、この国のすべてが問題なのか? そろそろこの国の問題をみんなで本質的かつ根本的に考え直してみなければならないときだ。 政治家に任せておいては何一つとして解決しそうにない。

 個人主義化の流れの中でますます失われていった全一観。そして、自然との、また、人と人との本質的関係の希薄化。

 拒否権を持つ国連の常任理事国制度を廃止しなければならない。いかなる国にも特権を与えてはならない。国連をいつまでも国家エゴの渦巻く反本質的な駆け引きの場にしておいてはならない。誰にも、どのような組織にも、いかなる宗教にも、どの国にも、どの民族にも、どの人種にも、そのほかどのようなものであろうとも、いかなる特権も与えてはならない。特権は反本質状態を生み出す諸悪の根源の一つである。特権は驕りを生み出す。また、特権はしばしば他者の本質的権利を侵害する。

 永遠現在は宿命と希望のはざ間を展開するプロセスである。

 ユートピアは本質的自由と切り離せない。また、ユートピアは本質的平等と切り離せない。そして、本質的自由と本質的平等は本質的な社会システムによって保障されていなければならない。

 大自然との全一調和状態を壊してまで生活の便利さと享楽を求める必要が一体どこにあるのだろうか。

 お互いに本質的悦びを与え合うユートピア。本質的悦びがキーワードである。本質的悦びを中心として日常生活が営まれる本質世界。

 本質的悦びは他者の犠牲を求めない。本質的悦びはすべての人に本質的悦びを与える。

 本質的悦びは無限の知恵と優しさに溢れている。

 どうすればこの世界を本質的悦びに溢れた場所にすることができるか考えていく。どうすれば生きとし生けるもの、あらゆる人々に本質的悦びを与えることができるか工夫していく。

 人生の基本は本質的悦びを生きること。本質実存は本質的悦びを生きる。

 本質的悦びによって統合された本質的人生。
 本質的悦びによって統合された本質世界、ユートピア。

 みんなが本質的悦びを生きることができるユートピア。

 本質的悦びはこの世にさらなる本質を創造していく。

 本質的悦び:身体的・感覚的悦び、知的悦び、霊的( 魂の )悦び、精神的悦び。

 ユートピアでは、地域住民がそのまま世界市民であるように生きる。ユートピアでは人は皆、全一的に考え、全一的に生活する。ユートピア市民は全一的感性の持ち主である。

 本質的悦びは全一的悦びである。

 本質的悦びは人間のちっぽけな自己中心的劣情をぶっ飛ばす! 自己中心的劣情すなわち優越感、競争心、嫉妬心、劣等感、浪費癖、見栄、自己満足、ナルシズム........

 希望のユートピアではこの世のあらゆる魂がPLEROMA浄土へと成仏することを願う。
 希望のユートピアは聖なる世界である。
 希望のユートピアは理想の精神王国である。

 この宇宙の一切万象は聖なるPLEROMAの浄らかな顕現( けんげん )であり、わたしたち人間もまた本来、聖なるPLEROMAの浄らかな顕現である。

 わたしたちの身の回りにあるすべての物が聖なるPLEROMAの浄らかな顕現なのだ。

 このいのちの一瞬一瞬が聖なるPLEROMAの浄らかな顕現であり、この世界のあらゆる変化が聖なるPLEROMAの浄らかな顕現なのだ。

 わたしたち一人一人が聖なるPLEROMAの浄らかな顕現として生きていくことができれば、わたしたちの人生はどれほど素晴らしいものになるか知れない。

 わたしたちの人生は聖なるPLEROMA(プレロマ)と一体化することによって全きものとなる。

 結局この世の一切は聖なるPLEROMA(プレロマ)に帰するのだ。 アーメン!


・・・ホームページから転載・・・

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