No.3598 日常のPLEROMA 6月



        日常のPLEROMA 6月



     2003.06.06



  『無の地平線』

  あらゆる存在を無の地平線上に置いて見つめ直してみる。すると、それまでまったく見えなかった多くのことが見えてくる。そしてそのようにして見られたものは、それまでの自己を視座(しざとした恐ろしく一面的な見方が持っていた低さと狭さと浅さの呪縛(じゅばく)から人の心を解き放ってくれる。無の地平線上に見える世界は、自我の軛(くびき)から自由になった、永遠無限神秘の全一的宇宙となる。それはもはや時間や空間や人間社会や自己の意識によって閉じられた世界ではなく、大自然の真実へと限りなく開かれた世界である。それはもはや自己と対立的に見られた相対的な世界ではなく、無とも対等(たいとう)に測(はか)り合える、絶対的な、聖なる世界である。そこでは、それまで自分をがんじがらめに縛(しばってきたあらゆる先入見が粉々に砕け散り、静かな至福が心身を充(みたす。そして、感覚・感情知性の上に精神が働き出す。その精神は自己を超えて全一的な大自然の真実と一体となる。そして、永遠の今を浄らかに自己展開し始める。

  人間の欲望はバブルのようなものではなかろうか。そして、その実体のない欲望のバブルがはじけた後には、恐ろしい災厄(さいやく)が、人類のみならず地球生命系全体に降りかかる。

  五感をフルに働かせて生命の本質世界を豊かに表現する。あたかも、生命の五感が無から立ち現われたかのような透明さと鋭さをもって。

  東の空に、新月と明けの明星とで書かれた「い」

  生きていることは至福である―――見ることのできる至福、聞くことのできる至福、食べることのできる至福、呼吸することのできる至福、歩くことのできる至福、歌うことのできる至福、知ることのできる至福、話すことのできる至福、書くことのできる至福、命を感じることのできる至福、愛することのできる至福、子を産むことのできる至福、感動することのできる至福、信じることのできる至福、想像することのできる至福、創造することのできる至福、共感することのできる至福、意志することのできる至福、永遠本質を生きることのできる至福......

  人類の生活が、永遠展開から欲望追求へと変質したときから自滅への転落が始まった。

  人類を破滅に導く欲望の無限スパイラル。

  カビのように、現代社会に利己主義がはびこっていた。カビは胞子(ほうし)となり世界中に飛び散って根を張った。人の苦しみの上に自分の幸せを築こうとする者たちが卑(いや)しい形相(ぎょうそう)であたりに蠢(うごめ)いていた。

  ぼくら日本人はいつまでも真実と真正面から向き合おうとしない。自分に不都合なことはいつも曖昧(あいまい)なまま見えない振りをする。だから自分たちの手で本当の社会を創っていくことができない。そして、その心はどこか歪(いびつ)で、斜(しゃ)に構(かま)えていて、澄み切っていない。だから、爽(さわ)やかな表情の日本人になかなか出会えない。ちょっと淋しい、成人しない、あきらめ顔の国、日本。

  不吉な欲望のシステムが世界を覆(おお)っていた。その不吉なシステムは、自然を切り刻み、人の心を枯らし、あらゆる関係を貧しくした。欲望の強さによって地球社会に階層ができ、欲望競争に負けた者が社会の隅に追いやられた。
本質を見失った知性の暴走によって世界は病んでいた。次の世紀を待たずに人類は滅びようとしている。オゾン層の破壊、温暖化現象、人口爆発、免疫力の低下、環境ホルモン、戦争、そのほか思いもかけない複合的な原因によって人類は衰退し、ついには死滅してしまう…

  はたして人類は21世紀を生き延びることができるだろうか。人口は爆発的に増え続け、人類の欲望は限度というものをわきまえずに募(つの)り続け、自然環境は日々悪化していく。温暖化現象、砂漠化、森林伐採、海洋汚染、水質汚濁、農薬汚染、化学物質汚染、放射能汚染、生物種の絶滅、資源の枯渇(こかつ)、貧富の差の拡大、モラルの低下、物金力を中心とした利己主義の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)、欲望の自由競争主義による不公平状態の拡がり、相互不信、享楽主義、刹那主義(せつなしゅぎ)、ペシミズム......

  完全性が宇宙万象(うちゅうばんしょう)の本質である。全一調和(ぜんいつちょうわ)が宇宙万象本来の姿である。

  あらゆる物事は完全バランス状態にあって最も安定である。

  完全調和が一切万象の本質である。完全調和を妨(さま)たげ、壊(こわ)すもの、それが反本質であり、悪なのである。

  清らかな時間が流れていく、そのことが人生最上の幸せであった。清らかな命の時間が流れていく、それがそのまま永遠の現われなのだった。

  この世の全てが無限の価値に満ち溢あふれている。永遠・無限・神秘の清らかなエネルギーから生まれたこの宇宙の一切が無限の価値に輝いている。自然のあらゆる時間、あらゆる空間、あらゆる物質、あらゆる出来事が無限の価値に満ち満ちている。―――この永遠の中で、自我に汚されない透明な意識は感じる、一切万象が無限の価値で充満しているのを…  この世の一つ一つのものが宝物であり、一つ一つの時間が宝物であり、その中でもとりわけ命と心は宝の中の宝であり、そして、心ある言葉もまた宝の中の宝だ。

  無心(むしん)において一切万象はその真実を明かす。無心において人は真実と一つになる。常に無心を保ち真実と一つのところを生きる。その時、人は本質充満(ほんしつじゅうまん)の至福を生きる。その時一切は無限価値に満ち溢(あふ)れる。PLEROMAの全エネルギーは絶対的無限価値に輝いている。そのPLEROMAから生まれた宇宙の一切もまた絶対的無限価値に満ち溢れている。その絶対価値の無限性を見損なうのは視野の狭い人間の我執(がしゅう)である。人間の自己中心的眼が一切の本来の価値を曇らせてしまう。



     2003.06.07



  人間世界のことは、初手から全体の完全調和を目指さない限り、いつまでも混乱と矛盾の繰り返しとなる。その場しのぎの現実主義的手法では地球上に永久に平和は訪れない。全体の完全調和を目指すということは、個人的、地域的、民族的、宗教的、国家的、人種的、人類的エゴを乗り越えるということである。部分的思考を乗り越えた全一観(ぜんいつかん)によらない限り、地球社会の調和はありえない。

  全体の幸せの中にのみ、個人の真の幸せがある。

  歓(よろこ)びの無限増幅(むげんぞうふく)。全一調和は人類の歓びを無限増幅する。この世に賜(たまわ)った生の純粋な歓びを無限に増幅していく地球社会システムの実現。悲しみや不安や苦悩を限りなく減らし、喜びや希望や本質的豊かさを無限に増幅していく。人生の最高化、完全化。

  人間の意識は全宇宙の真理と同じ重みを持たねばならない。永遠無限神秘の深みを持たねばならない。無闇(むやみ)な自己中心的我執の醜悪(しゅうあく)を演(えん)じてはならない。全一宇宙に相応(ふさわ)しい品位(ひんい)を養わねばならない。


  プレロマの 光あまねし現世(うつしよ)の 光となりて踊躍(ゆやく)するかも


  自己中心性を超えた客観的知性、客観的知性を超えた本質的精神(全一的統合機能)。

  本質精神は歴史を乗り越える。

  本質的無知に根ざしたあらゆる部分性と自己中心性を乗り越えて、全一調和的地球社会を実現していくこと。


  閑(しづか)さや 永遠底(えいえんてい)に チャボの声


  永遠という視座に立てばあらゆる固定観念は幻想である。

  永遠現在を生きること、それがそのまま人生の完成である。

  欲望は貪り、対立し、破壊する。本質は感謝し、調和し、創造する。

  一切は空(くう)であるという真実を空しさと誤解してはならない。一切は空であるということを清浄性(しょうじょうせい)と理解すべきである。清浄性は全一的無心であり、本質的完全性の全生命的実存である。それゆえ、絶対空の真実を生きる者の生活が空しいものであるはずがない。空しいのはむしろ真実を生きることのない物金・力の亡者的(もうじゃてき)生活のほうである。

  欲望の野放し状態としての資本主義。

  欲望を増幅(ぞうふく)させる資本主義というシステム。

  自分の生き方 × 全人類 で、地球環境が持たないような生き方は反本質的である。

  自分の生き方 × 全人類 で、地球環境が生き生きと輝くような生き方は本質的である。

  本質的な知恵と勇気と活動が地球社会を変えていく。

  生の根源的至福に溺おぼれることなく、現実世界の理想郷化へと精進し続ける本質実存者。

  人類の欲望の歴史を清算しなければならない。その上で新たにそして自覚的に本質的な歴史を積み上げていかねばならない。

  基本的方向性―→本質実存(一人一人の命の本質展開)=精神の完成(全一統合思考)+本質的地球社会システムの完成(全一調和世界の実現) 

  本質的豊かさとは何か : 本質状態の充満。すなわち、全一調和に満ち溢(あふ)れた状態。

  本質社会 : 本質的豊かさに満ちた社会。土地建物の私有を禁じ、相続を禁ずる。社会のあらゆる歪みと不公平を是正(ぜせい)して完全調和社会を実現する。そこにはストリートチルドレンもホームレスもいない。家庭内暴力も家庭内離婚もない。闇金融もなければ自己破産もない。泥棒もいなければヤクザもいない。過労死もなければ自殺もない。セクハラもなければ痴漢(ちかん)もいない。子々孫々にわたって市民全員が土地と建物の公平な利用権を有する。労働と食料に関しても同等の権利と義務を分かち合う。あらゆる面において完全バランス状態の実現を目指す。そこでは世界の市民全員が指導者であり社会の主体である。

  本質はあらゆる形のアンバランスを嫌(きら)う。

  本質社会を実現していくために、既得権益(きとくけんえき)を死守(ししゅ)しようとする勢力をいかに乗り越えていくか…

  本質権(本当の自分すなわち自己の本質を生きる権利)。人生の目的は自分の命の真実を生きることである。世界中の人が、それぞれ自分の命の真実を生きることができる地球社会を実現すること。

  人類社会の統合原理を確立すること。人は誰でも本質実存権を持って生まれてくる。その本質実存権を保証する地球社会システムを確立しなければならない。

  欲望は私的であり、本質は全一的である。

  利権(りけん)中心から本質中心へと転じる未来世界。

  ゴールデンバランス。この宇宙では一切が他の一切との関係において、常にゴールデンバランスを保とうとする。ゴールデンバランスの維持(いじ)は宇宙の本質的法である。バランスの崩(くず)れから一切の不都合が生じる。 精神的、身体的、社会的、生命系的、物質系的、エネルギー的アンバランスが非本質的状態なのである。その非本質性を自覚的に矯正(きょうせい)すること。

  アンバランスな状態は常に完全バランス状態に返ろうとする反発力を内包(ないほう)している。

  人生の要諦(ようてい)はバランスの維持(いじ)にある。

  世の中の多くの問題は、個人的には本質に対する無知と愛の欠如から、また、組織的システム的にはあらゆるかたちの不公平から生じる。

  地球全体の本質が輝くような地球社会の構築。全人類が、地球全生命系の本質的輝きの中で、自らの本質を輝かすことのできる地球社会。

  まっすぐに本質を展開する大自然界。しかしその中で現生人類(げんせいじんるい)だけが本質から外れて末梢的(まっしょうてき)欲望を生きる。

  最も聖なる、最も純粋なる、最も完全なる、そして最も根源的なるエネルギー場であるPLEROMAからこの宇宙は生まれた。だからこそ、この宇宙のあらゆるものが聖(せい)であり純粋であり完全なのだ。光もクォークもレプトンも、原子も分子も生命も、星も銀河も全宇宙も、全ては聖らかで、純粋で、完全だ。全ては、それぞれの必然性を清浄展開(しょうじょうてんかい)している。全てのものは他の全てのものと純粋に完全調和しながら変化していく。全てのものは、この宇宙(コスモス)の第一法則である完全調和を純粋展開していく。そこにはいかなる作意(さくい)もなく、いかなる恣意(しい)も私欲(しよく)もなく、いかなる穢(けが)れもない。ただ、聖らかで純粋で完全な必然的展開があるだけ。

  この地球上でも、かつては大気と水と大地とさまざまな生き物たちとがやはりそれぞれの必然性に従って聖らかな永遠を転じていた。全ては聖らかで純粋で完全であった。この地球上でも完全調和がすみずみまで覆おおっていた。全てが一体であり、全てが聖らかであった。その完全な地球上に、自己中心的な意識へ偏(かたよ)り始めた現生人類が登場してきた。そしてその自己中心性が異常なまでに肥大化し、やがて…

  全一的真実だけに価値があり、その真実は物金力の手に届かない


          1
          全
          真
          本質
         絶対空
         絶対聖性
       PLEROMA
       永遠無限神秘
     最高次の純粋エネルギー
         宇宙
         時空
         物質
         変化
         生命
         感覚
         感情
         知性
         精神
         至福
         感謝
         祈り
         真精神


  だれも本質権以外いかなる権利も持たない。本質権には自衛権も含まれる。自衛とは、だれにも自分の本質権を侵害させないこと。

  支配のない、すなわち服従というものもない本質世界。誰一人として他者の本質を侵害する者のいない世界。

  本質実存はあらゆる支配に反対する。個人的、暴力的支配、経済的支配、宗教的支配、部族的支配、人種的支配、国家的支配、人類による自然の支配などあらゆる形の支配に反対する。支配は反本質的であるから。本質は全一バランス、全一調和の展開の中にある。本質の中では一切は平等なのだ。

  本質的労働と本質的自由(本質自己展開)によって構成される本質社会。

  自己利益が他者の不利益になるように行動してはならない。自己利益の影に隠れた他者の不利益に敏感であること。



     2003.06.08



  真精神( しんせいしん )―――幼子のような純真さと、限りなく高い視座と限りなく広い視野と限りなく深い心と。

  精神が人間世界を展開させる。精神のありようが世界を決定付ける。精神を忘れた人間活動は虚(むな)しい。精神を忘れた世界は危うい。精神に意識の焦点を合わせて生きる。精神は正しい世界観と価値観の蔵であり、生命活動の真の司令塔(しれいとう)である。自己の精神を生涯にわたり、高め磨き続けよう。そして精神の地球ネットワークを築き上げていこう。

  本質的生活は非本質的なものをひとつひとつ切り捨てていく先に開けてくる。非本質的な物事を剥はぎ取っていけばいくほど、本質は充実していく。本質世界は、本質において緊密に連関する一体的世界である。本質的であればあるほど精神性が増し加わる。本質が豊かになればなるほど、精神も豊かになる。一方、表面的になればなるほど精神性は貧しくなる。装飾的になればなるほど、刹那的(せつなてき)になればなるほど、利己的になればなるほど、享楽的(きょうらくてき)になればなるほど精神性は貧しくなる。部分的になればなるほど、間接的になればなるほど精神性は貧しくなる。

  全一統合機能が精神である。全一統合機能は一切万象の中に内在している。光にもクォークにも原子にも分子にも高分子にも細胞にも植物にも動物にも、もちろん人間にも、地球にも太陽系にも銀河系にも宇宙にもPLEROMAにも。そしてこの全一統合機能の最高次の機能すなわち完全統合機能がPLEROMAに内在している。また、宇宙=自己の最高次の機能が真精神(しんせいしん)である。それゆえ真精神は最もPLEROMAに近い。また、この宇宙の一切万象はPLEROMAの完全統合機能の部分的展開である。それゆえ一切に統合機能が浸透(しんとう)しているのである。そして一切は常に最高の統合状態を目指すのである。完全統合機能は宇宙万象の本質機能である。人間においてそれは精神において為される。精神を中心とした生活がもっとも本質的なものとなるのは、精神がもっとも高次の、もっとも完全性に近い統合機能を持っているからである。人間社会においても人間の精神を中心とした全一調和的なシステムが作られれば最も安定した、最も本質的な社会が実現する。それゆえ、精神性を無限に高め続けよう。個人的にも地域社会的にも人類的にも、精神を無限に高め続けよう。そして真精神において一切は最高バランスに達する。真精神において一切は一体化する。精神性の高さが人間としての最高価値である。そして精神的に成熟した地球社会は桃源郷となる。市民一人一人の精神性の高さが地球社会に最高の幸いをもたらす。



     2003.06.09



  感覚、感情は客観知性に統合され、客観知性は精神に統合され、精神は真精神へと高まり、真精神は真智(しんち)へと深まり、やがては一なる絶対真実世界へと限りなく融(と)け込んで一体化していく。

  最高次の本質統合社会としてのユートピア。市民は皆、本質的至福を生きる。人と人、人と生き物、人と物質の関係が全て本質的である。全てが全一調和している。市民一人一人の意識が本質的であり、社会のシステムが本質的である。そこでは日常生活の一切が本質化、精神化されている…



  「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

宮沢賢治 『農民芸術概論綱要』



  社会の諸問題は社会の反本質的構造から生み出される。また、一人一人の反本質的思考から生み出される。

  真実を語るためには、そして真実を生きるためには、人は一人一人自立していなければならない。自立の中から真の勇気も生まれる。そのような自立を支える社会システムを作らねばならない。今生きている世代のみならず、まだこの世に生まれてこない子々孫々ししそんそんの世代にわたって、全ての人の自立を公平に支える社会システムを構築しなければならない。食と住と職のシステムを変えなければならない。土地建物などの、自己中心的血族中心的な私有・相続観念から、絶対的公平性を貫く一代限りの期限付き利用観念と地域社会共同管理への移行。



  「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」

     福沢諭吉 『学問のすゝめ』



  全一調和世界は弱者というものを一切作らない。つまり、強者というものを作らない。弱者を作るあらゆる社会構造は反本質的である。

  全一的本質展開はいかなる差別も生まない。全一的本質展開はあらゆる差別に反対する。



( The Poem by Dr. Peter Jepson-Young )

I accept and absorb
All the strength of the earth
To keep my body hard and strong.

I accept and absorb
All the energy of the sun
To keep my mind sharp and bright.

I accept and absorb
All the life force of the ocean
To cleanse my body and bring me life.

I accept and absorb
All the power of the wind
To cleanse my spirit and bring me strength of purpose.

I accept and absorb
All the mystery of the heavens
For I’m a part of that vast unknown.

I believe God to be all these elements and the force to unite them
And from these elements I have come and to these elements I shall return
But the energy that is me will not be lost.



  インディアンの酋長 シアトルの言葉 1852年

   ワシントンの大統領がわれわれの土地を買いたいと言ってきた。しかし、土地を売り買いするなどということがなぜできるのだろうか。われわれにとって大地はすみずみまで神聖なものだ。砂浜も草地も、森を包む霧も松葉の一本一本も聖なるものなのだ。われわれは大地の一部であり、大地はわれわれの一部だ。花々はわれわれの姉妹で、熊や鹿や鷲はわれわれの兄弟だ。湖の澄んだ水に映る影はわれわれの思い出を語る。せせらぎの音は祖父の声であり、川はわれわれの兄弟だ。川はカヌーを運び、子供たちに食べ物を与えてくれる。大気は貴いものであり、あらゆる生き物と魂を共有している。われわれの祖父に最初の息を与えた風は、また、彼の最後の息を受け取る。

  大地が人に属するのではない、人が大地に属するのだ。あらゆるものはつながりあっている。命の網を編んだのは人間ではなく、人間はその中の一本の縄にすぎない。もしバッファローが皆殺しにされてしまったらどうなるのだろう。森の奥の奥まで人間のにおいがあふれ、緑豊かな丘の景色が電線で損なわれたらどうなるのだろう。それは生きることの終わりだ。

  われわれインディアンが原野とともに消えてしまった時、この岸辺や森はまだここにあるだろうか。わたしの一族の魂が少しでもここに残っているだろうか。

  われわれはこの大地を愛している、赤子が母の胸の鼓動を愛するように。もしもわれわれがあなた方に土地を売るようなことになっても、われわれと同じようにそれを愛し慈しんでほしい。子供たちのために土地を守り、愛してほしい、神がわれわれすべてを愛するように。

  神はただひとつであり、インディアンであれ白人であれ、われわれはすべて兄弟なのだ。



  本質的聖性の視座から人類の文明を立て直す。一切聖性の立場からは私有の観念は相応(ふさわ)しくない。一切の本質的聖性を輝かせる新しい文明。本質の本質であるPLEROMAエネルギーに相応しい、大自然に対する感謝と畏敬(いけい)の念に溢あふれた、一人一人が本質において自立した主体的自由を生きることができる文明。ネイティヴ・アメリカンの自然に対する姿勢に学ぼう。



     2003.06.10



  生時(しょうじ)、すなわちそれぞれの人生の持ち時間をできる限り本質化していく。本質化されない生時は虚(むな)しい。



  完全な優しさとしての愛。この愛の自発的発現を阻(はば)むものは何か。ナルシズムの過剰、すなわちエゴイズム。

  清らかに転じていく本質世界ユートピア。 その中では、もはや誰一人として利己的である必要がない。

  純粋な喜びは人間にとって本質的である。それゆえ純粋な喜びでないものに対しては用心しなければならない。

  あらゆるものとの間に本質的関係を築き上げていく。本質的関係系は喜びの共鳴箱(きょうめいばこ)である。

  生命の喜びから真実に至り、存在の純粋性から真実に至り、知恵の完全性から真実に至る。

  本質忘却、これが現代の最大の病いである。

  われわれは全てを大自然に与えられて生きている。この命も、あらゆる命の糧かても、生活舞台である地球も宇宙時空の一切も。もともとこの自分の生命すらも自分の所有ではない。それゆえ人間にはもともと何一つとして所有する権利はない。無償で贈られたこの宝玉(ほうぎょく)のような限られた生時(しょうじ)を、無限感謝しつつ生きるのが本来あるべき人の姿なのだ。人は皆その分限(ぶんげん)をわきまえて生きなければならない。間違っても浪費、享楽、貪(むさぼ)りの悪鬼(あっき)となってはならない。たかが人間の分際(ぶんざい)で高慢になってはならない。

  一つの小さなアンバランスが巨大なアンバランスを生み出す。個々の小さな不公平が社会的国家的不公平を生み出す。

  神の見えざる手ではなく、悪魔の見えざる手が働く現代世界。

  本質的方向感覚を失って迷走し続けるホモ・サピエンス。

  あらゆる存在の二つの基軸(きじく)としての全体(世界)と部分(自己)。 そして、あらゆる部分は全体との正しい連関(れんかん)の中でのみ真の意味と価値を持つ。 しかし、いつしか大自然(全体)との一体性を見失った人類は、おのずから自らの生命活動の真の意味と価値を見失ってニヒリズムに陥り、限りなく自己中心性を募(つの)らせる。そして傲慢(ごうまん)にも反本質的行動を積み重ねていき、やがて自滅(じめつ)するに至る。 全体観(すなわち自己と世界との全一的連関性の自覚)の欠如(けつじょ)、これが現代の最大の病なのである。

  本質活動と至福は全一的であり、欲望追求と快楽は末梢的(まっしょうてき)である。



     2003.06.11



     自己中心性―――→全一バランス

      欲望追求―――→本質展開

       部分性―――→全体性

        競争―――→共同

         偽―――→真

        断絶―――→連続

       刹那性―――→永遠性

      不平等性―――→絶対平等

     物質的貪り―――→精神的充足

    不浄不幸不満―――→清浄至福感謝


  人間にとって真実とは、理想と現実とのダイナミックな統合的相互作用にある。

  現実から始めなければならない。あるがままの現実を正しく視、正しく受け入れた上で、まっすぐに理想(本質)へと向かわなければならない。

  真実に基づいていなければ人生の全ては空しい。真実に基づいて生きなければこの世に生を受けた甲斐(かい)がない。

  この永遠なる完全調和を満喫(まんきつ)しよう。

  桃源郷は全一バランス連関系である。

  本質活動は全一調和的である。それゆえあらゆる部分的な偏(かたよ)りが本質を汚すのである。

  何かを追求する時、人はその追求している事柄に偏(かたよ)りがちになる。何かの専門家になることは、その専門に偏った人間になることである。人類は科学技術の追求を始めた頃から視野の限られた専門家的傾向を強め、また、経済活動を活発化し始めた頃から経済優先的方向への偏りを強めるなどしながら、次第に全一的なバランス感覚を失っていった。生来(せいらい)持っていた全一統合的な直観力を失っていった。そしてそこから多くの弊害(へいがい)をこの世にもたらした。

  あらゆるものはあらゆるレベルを超えて一体である。一切はもともと永遠PLEROMAの純粋エネルギーなのである。それは個体の別を超え、人種の別を超え、人類と動植物の別を超え、人類と物理世界の別を超え、また、時空の隔たりを超えて一体である。一切は永遠無限神秘の一丸世界(いちがんせかい)なのである。それゆえ、自己は自己でありながら単なる自己ではないのである。真実自己とは一切一丸世界そのものなのである。その真実自己を真精神において純粋展開させること、これが本質的な真の実存なのである。

  人生最高の生き方は、世界の本質を豊かにすることである。それがエネルギーそのものであれ、水や空気や土や人工物であれ、多様な生物であれ、知識であれ、精神であれ、言葉や音楽や絵画であれ、政治であれ、経済であれ、教育であれ、そのほかいかなることがらであれ、その本質的な働きを真に生かすものであればそれは生き方として最高である。反対に、人生の名に値しない生き方は、世界の本質を汚し、貧しくするような生き方である。現代人の物と金と享楽を中心とした浪費的な生き方の多くはそのような反本質的な生き方である。浅ましい限りである。われわれの未来世代のためにも一日も早く現代社会に本質的聖性を回復しなければならない。



     2003.06.12



  最善の地球社会システムをイメージし、それを現実化していく。人類存続のために、よりよい社会のために、より幸せに満ちた人生のために、最善の地球社会システムを構築していこう。本質は常に最高最善を目指す。

  狭隘(きょうあい)な視野と、慣習に縛られた、自分の中の怠惰たいだな意識の殻からを打ち破り、より広い視野に基づくより公平な本質的社会を打ち立てていこう。

  人類の過去における多くの間違いを正して、新しい千年紀にふさわしい新しい世界観に基づく新しい文明を築いていこう。精神性を一段高めた、より本質的な地球文明を築いていこう。人間の弱点に付け込むような欲望のシステムではなく、人間の高い潜在能力を引き出すような本質活動を中心とした新しいシステムを地球上に築いていこう。

  誰も利己的である必要のない地球社会システムの構築。人は意識の低さから、また、社会システムの不完全さからいつしか過剰防衛的な利己主義に陥ってしまう。それゆえ、本質的な地球社会の実現によって、一人一人の意識を高めながら社会システムをより完全なものへと近づけて、誰ひとりとして利己的に振舞う必要のない社会環境を作り出していく。

  環境( 全一連関系 )は主体的働きかけによって変化する。全一連関係においては一切が他の一切と影響を及ぼし合っている。

  精神のみがよく歴史を、そして現実を超越し得る。精神とは超越機能であり、真の創造機能である。

  歴史を学び歴史を乗り越えていく。



  賢者であってはじめて、自由の人だ…        
              
  キケロ「パラドックス Ⅴ」より



  超越的であるとは、歴史と現実に押し潰(つぶ)されることのない創造的な姿勢を意味する。ところで、現実世界において真に超越的であるためには死を受容(じゅよう)していなければならない。

  現代のような経済至上的社会においては、貨幣価値が本質価値を正しく反映していないところから多くの問題が生じてくる。

  真の自己は永遠であり、永遠を意識する永遠である。

  今一度、大自然と調和する日本の伝統的家屋に注目しよう。大自然と調和する日本の伝統的生き方に注目しよう。

  人は皆、その本質追求において平等である。ところで、人の本質が抑圧され、歪められた時にさまざまな不幸や悲劇が生まれる。

  欲望追求に根ざした社会システムから、本質活動に基づいた社会システムへの移行。



     2003.06.13



  この世のありふれた小さな情景に永遠を感じることは無上の喜びである。小さな思い出の一こま一こまに永遠を感じることもまた無上の喜びである。


  まだしっかりとした理念のない、まだちゃんと自立できていない、打算的で、どことなくいじましい、官僚主義的な日本というシステム。 ちょっとカッコ悪い日本。美しい自然の中の美しくない日本というシステム。もうちょっと何とかならないもんでしょうかねえ。世界に向かって大きく胸の張れる国になれないもんでしょうかねえ。心の萎縮(いしゅく)した、臆病(おくびょう)な、上目遣(うわめづか)いのヒラメのような国、日本。トホホ…わたしもそんな日本人の一人です、確かに間違いなく。 うーん…何とかしなければ…, 世界の真のリーダーの仲間入りを目指さなければ…

  アメリカという反本質的システム。聖なる環境よりも消費を優先させるアメリカというシステム。新約聖書にもあるように金持ちであることがすでに反本質的なのである。(これほど貧富の差のはなはだしい国も少ない。一握りの大金持ち達のずうずうしさには十分気をつけよう。)必要性を超えた浪費を誘うアメリカというシステム。人生をマネーゲームと捉とらえるアメリカというシステム。アメリカというアンチ キリスト的キリスト教(?)国家。欲望の自由主義国家。もしも世界中がアメリカ化すれば地球環境は三日と持たないでしょう。欲望の超大国アメリカ。人類絶滅の葬送(そうそう)国家アメリカ。人類の存続とそのよりよき未来のために、アメリカの良識よ、立ち上がれ! ませんか? (もっと、貴国のアーミッシュの生き方に学んでもらいたいものです!)

   人生で最も大事なことは、われわれ人間をも包み込んだこの大自然の浄らかな永遠のたたずまいを、おのれの浅ましい我執と欲望で汚さないこと、これである。



     2003.06.14



  この不安定な資本主義という社会システム。好不況によって激しく浮き沈みする庶民の生活。個人間、国家間においてさらに拡がる貧富の格差。自由の名の下にあらゆるしわ寄せが弱者に集中する不公平制度。人は誰もが生活の安定を求めている、今もそしていつまでもあらゆる世代を超えて。もうそろそろこのあたりでこの不安定で不公平な制度を乗り越えて、この地球社会により安定な、そしてより本質的な政治的経済的システムが構築されなければならない時である。

  一体性からの離脱( 部分性の魔 )、および直接性からの離脱( 間接性の魔 )が、現実世界のさまざまなものごとをその本来的・本質的価値から引き離して種々の不調和を生み出している。貨幣( 間接的な交換手段 )、言語による抽象と分析( 間接的な置き換えや作為的操作 )、地域的な直接的民主政治ではなく、国家的な間接的調整・操作としての中央政治など、その社会の現実と制度との間のヅレがさまざまな問題を生み出している。もっと、直接的かつ全一的な社会システムが追求されなければならない。

  精神を通して永遠の眼と心を養う。21世紀はまさに人類の精神化・本質化へと踏み出すべき時代である。

  精神として世界を見る時、すべては“このいのち”の永遠なる風光である。精神は全てを透明な心で包み込み、善悪美醜を超え、有用無用を超えて、それらを本質的な完全調和の世界へと引き上げる。その時、精神は存在者にとって永遠なる本質発現への切なる祈りであり、全一調和世界創造への誘いであり、本質エネルギーの純粋な愛の働きである。精神は常に存在の本質を観、そして、それを活かす。

  一方、知性を通して世界を見る時、全ては二元対立の相を帯びる。本質的現象と非本質的現象とに分別される。全ては善か悪か、真か偽か、美か醜か、敵か味方か、さらには高低、貧富、賢愚(けんぐ)、長短、明暗など、あらゆる相対世界が現われる。全ては言葉によって分けられ、判断され、複雑に組み合わされて一つの大伽藍(だいがらん)が構築されていく。本来の一元的無分別世界に、言葉による巨大な概念世界が、蜘蛛の巣のように二次的・二元的に張りめぐらされていく。そしてその巣の中でその人の心はとりあえず安心する。

  ところでまた、現代のような経済至上主義的世界において人が利害ないし経済性の視座から世界を見る時、全ては利潤を上げるための道具となり手段となる。全ては用不用に振り分けられ、用の世界だけが真に存在する世界となる。また、欲望の視座から世界を見る時、全ては自分の欲望を充足させるための対象であり、道具であり手段となる。そしてそのどちらの世界においても、不用なものは容赦なく切り捨てられる。

  精神を通してのみ、生命は真に生命そのものとして見られ、その本質を認められる。その他のいかなる見方においても、生命はもはやその全一性を奪われて単なる物に成り下がり、単なる道具、単なる手段、単なる対象へと貶められる。

  近現代とは、いわば、人類の才気走った若造たちがその勢いにまかせてやりたい放題をし続けた時代である。その愚行(ぐこう)の後始末をどうつけていくかが、これからの時代に課せられたもっとも大きな課題である。これからの人類には、より成熟した精神性が求められている。



     2003.06.15



  この宇宙の聖なる波動に同調して踊ろう!鳥や蝶や花のように。
  この宇宙の聖なる波動に同調して歌おう!鳥や泉や風のように。

  時を超越した精神と精神とが語り合い、霊と霊が融け合う、そのような成熟した真の地球社会がそろそろこの世に実現してもいい頃だ。目先の物欲に眼が眩(くら)んだような視野の狭い皮相極まりない社会から抜け出して、最高の精神と精神とが語り合い、最高の霊と霊とが融け合うような、そんな深い喜びに溢あふれた快い地球社会がそろそろこの世に実現してもいい頃だ。

  本質の眼に現代資本主義は欠陥だらけの時代遅れなシステムと映る。なぜ人類はいつまでもこのような矛盾だらけのシステムから卒業できないのだろうか、まったく不思議なことだ。詭弁(きべん)と威(おど)しと賺(すか)しを巧みに操(あやつ)る強欲な族(やからが裏で操作しているに違いない。人類の未来を犠牲にしてまでこのようなシステムにしがみつくことにどんな意味があるというのだろう。現世代のみならずわれわれの大切な未来世代をも愚弄(ぐろう)した愚行の極(きわ)みだ。

  アメリカ的なものが異常増殖している。大自然の聖性を汚し続けるアメリカ的なものが異常増殖している。現代アメリカにあっては聖なるものは金だけだ。かつてネイティヴ・アメリカンが愛し、敬った、大地も山も湖もイーグルもバッファローも、その他あらゆる大自然の聖なるものが、その建国以来(一握りの良識的な人々を除いて)アメリカで正しく理解されたことは一度もない。全ては欲望追求の手段に過ぎなかった。そして今もその状況は何一つ変わっていない。そして欲望追求に血眼の、霊性を失ったアメリカ的なものが地球上で今もなお異常増殖し続けている。

  大自然の聖性を理解しようとしないヨーロッパの呪われた部分を引き継いだ現代アメリカの反本質的文明を見るとき、大自然の聖性そのものを生きたネイティヴ・アメリカンたちの精神性の高さに今更ながら感銘を受ける。そして、精神性高き文化が精神性低き野蛮に蹂躙(じゅうりん)されなければならなかった歴史の皮肉と不条理とを思って心は悲しみに浸(ひた)される。しかし、結局最後に残るのは本質だけであり、反本質的なものは早晩地球上から滅び去る。それが宇宙永遠の律なのだ。

  魂を失った強欲なヨーロッパ種族が穏やかなヨーロッパを席巻(せっけん)し、やがて世界中を席巻していく。そしていつしか愚かしくも人類絶滅の危機を呼び込んで現代に立ち到った。この強欲なヨーロッパ種族の反本質性を乗り越えない限り、人類に明るい未来はない。強欲なヨーロッパ種族の中の良識部分をも含めた、全世界の本質的勢力を結集して、人類の明るい未来を築きあげていこう。新しい本質的な真の地球文明を築いていこう!

  存在の聖性の前に謙虚に頭を垂れて感謝することのない、呪われた傲慢(ごうまん)なヨーロッパ的なものが地球を覆おおい始めて以来、全ては破滅の方向へと転落し始めた。存在の聖性に対するその根本的な無知が一切の災いの源にある。われわれの心の中にも巣食ってしまった、このヨーロッパ的な、霊的な本質に対する根源的無知を克服しない限りわれわれの未来世代に希望はない。

  あらゆる独裁制に反対する。社会主義的なものであれ、共産主義的なものであれ、軍事政権的なものであれ、その形態を問わず、あらゆる独裁制に反対する。独裁制、この絶対民主制の対極にあるもの。独裁制、この市民の本質的権利を蹂躙(じゅうりん)するもの。独裁制、この最も腐った形の権力形態。

  みんなでみんなを支え合う全一調和世界。一度それぞれのこころをリセットして、全一調和世界のあるべき社会システムをブレーンストーミングしてみる。必ずや素晴らしい本質的な理想世界が描き出せるはずである。



     2003.06.16



  人類の精神的向上を置き去りにして、さらに加速度的に進歩する科学技術と、さらに加速度的に進行する世界の都市化によって、さらに加速度的に近づいてくる人類滅亡の日。

   本当に生きるということは、自分の好き勝手に生きることでもなければ、給料のために生きることでもなければ、虚無の中を空しく漂うように生きることでもなく、自分の命の真実(本質)を生きることである。そして、そのために本質的な世界観を培(つちか)い、本質自己を生きることのできる社会システムを築いていく事である。



......“ A world of mist is no more than a world of mist ... and yet.” [ 露(つゆ)の世は つゆの世ながら さりながら ...一茶 
And yet...let us accept that world of mist as the material out of which to make a life that is more complete.

José Ortega y Gasset ‘ WHAT IS PHILOSOPHY? ’ translated from the Spanish by Mildred Adams



  本質実存のための二つの要件―――自己中心的視座の呪縛(じゅばく)から自己を解き放つこと、そして、あらゆる人とあらゆる世代に公平な、非本質的な悲劇を生み出すことのない社会システムを確立していくこと。すなわち、本質的世界観の獲得と本質的社会システム実現への意志を生きること。



  われわれが真に生きはじめるのは、人生を悲劇と感じてからである。

     W.B.イェーツ



  人生とは戯(ざ)れ事ではない。



  思想とは、真理に対する王手である。思想を持ちたいと望むものは、それよりも前に真理を愛し、真理が課すゲームのルールを受け入れる用意をする必要がある。

  われわれと討論している人が、もし真理に順応することに無関心であれば、もし真理への意志を持っていなければ、その人は知的に見て野蛮人である。

  今日の虎は六千年前の虎とまったく同じである。というのは、虎は一頭一頭、あたかも以前に虎など存在しなかったかのごとく、新たに虎としての存在をはじめなければならないからである。ところが人間は、記憶力のおかげで自分自身の過去を蓄積し、それを利用する。人間の場合は、過去の人間とまったく同じということはありえない。つまり新しく生まれてきた人間は、最初から過去の蓄積というある程度の高みに立っているのである。これが、人間の持つ唯一の宝であり、特権であり、人間である印である。そして、その唯一の宝のもっとも小さな長所は、それがわれわれに、つねに同じ誤りを繰り返すのを避けるために、失敗を記憶することがいかに重要であるかを教えてくれることである。人間の真の宝とは、その失敗の蓄積、すなわち、何千年にもわたって一滴一滴とたまってきた生にかかわる長い経験である、だからニーチェは、超人を定義して「最も記憶力の良い」人間と呼んだのである。

  オルテガ 『大衆の反逆』より



  無窮の真実世界にこの身をゆだね、その真理へと自己を深め、その純粋な活(はたら)きとして生きる至福。



     2003.06.17



  個人的な幸福よりは永続性のある救わるべきものが人生にはあるかもしれない。

  サン・テクジュぺリ 『夜間飛行』より



  人生を単なる個人的なものへと卑小化(ひしょうか)してしまうことによって失われる生の全一的な深い本質。



  おお、このギリシア人! かれらは生きることに通暁(つうぎょう)していた、―――そのためには、表面に、皺に、皮膚に、雄雄しく踏み止まること、仮象(かしょう)をあがめること、形式を、音響を、言葉を、仮象のオリンポスを信じることが必要なのだ!このギリシア人は表面的であった―――深さから!

  ニーチェ 『華やかな智慧』より



  われわれ現代人も負けずに表面的であった―――しかし、哀しいかな、その浅さから!

  一度、現行の社会システムをその根本から洗いなおしてみる必要がある。もはや時代に合わなくなっていないか、一部の人間の食い物にされていないか、もっと効果的なシステムがないかどうか、さまざまな視点から再評価され、改善されなければならない。

  反本質度の高い先進諸国。 これからは、先進諸国がこれまで積み重ねてきたその反本質的傾向を改善しながら、新たにその本質度を高めていく生活スタイルと社会システムを構築し、地球世界をその本来あるべき本質状態へと戻していかねばならない。

  これからの新しい価値基準としての本質度(あるいは反本質度)。 個人的に、また社会的に、本質度の高い生活様式、文化、文明の創造が求められている。大自然と調和した、創造的な、本質的生活スタイルの創造!

  本質文明、精神文明、全一調和文明。 理想的地球社会構築への序曲。本質を直視する市民による地球社会。もはや曖昧(あいまい)さやごまかしのない文明。本質関係の充満する世界。



     2003.06.18



  本質は存在の根拠であり、目的であり、かつ、存在それ自体である。

  全体の文脈の中でのみ真の意味が了解される、生の意味もまた。

  この全一連関系(宇宙)においては、全てのものはより完全状態に近い、最も高次の安定性を求めている。それゆえ人が、常に、全体の安定性を妨げる単なる部分的豊かさ(豊かさの偏在)に反対し、この地球社会により完全に近い全一調和的な安定性を求めることは、永遠本質に適(かな)う生き方である。すなわち、この地球上にユートピアを実現しようという試みは、人類にとって最も本質的な願望の一つなのである。

   人は環境と一体であり、よりより環境を求めることは生命の本質的願いである。

  地球社会は一つの相互に関係し合った統一的な系であり、その一部分が不調になると系全体が不安定になる。つまり、部分が安定しないと全体が安定せず、全体が安定しないと部分が安定しない。それゆえ、真の安定性を求めるためには、全体を統合的一体的にデザインし、調整していかなければならない。単なる部分的安定、部分的豊かさに意味はないのである。人類全体の全一思考、すなわち、民族・国家・人種の枠組を超えた類的思考が求められているのである。この人類存亡の危機にあって、いつまでも国益や私益を追っていてはならない。



  …あらゆる個別要素を超越した全体の連関の中にこそ世界を超える力は予感されるだろう。

      ゲオルク・ジンメル



…whence finally, our ‘idiot,’ meaning a person entirely occupied with his own concerns.

. ‘Government and co-operation are in all things the law of Life; Anarchy and competition the law of Death.’

…, the capitalists’ will being the primary root of the war; but its real root is the covetousness of the whole nation,…

from UNTO THIS LAST  written by John Ruskin



  本質から遊離(ゆうり)するとき、すなわち、真の自己から遊離するとき、総ては愚劣化する。

  なぜ総(すべ)ての人が平等でなければならないのか。それは総ての人の本質が平等であるからに他ならない。総ての人に内在する本質が絶対的に平等だからである。

  なぜ総ての人が自由でなければならないのか。それは総ての人の本質が自由であるからに他ならない。総ての人に内在する本質が絶対的に自由だからである。

  総ての人が本質的に平等であり自由なのである。しかし、人は本質に住してのみ、自らの平等性と自由性を要求することができる。また、他者は本質的であることのみを人に強いることができる。すなわち誰も本質以外のことを人に強いる権利を持たない。



     2003.06.19



  自然の本質を見損(みそこな)った近現代において人類に染み込んでしまった反本質的習慣を、一つ一つ取り除いていかなければならない。

  非本質的・反本質的文明によって滅びることほど愚かしいことはない。もしも現在あるこの状態が現生人類の精神的限界だとすれば、その未来にあまり希望を持つことはできない。一日も早く、精神的に一段階進化した、全一的なバランス感覚と本質的意味把握(はあく)に優れた超人類が、現生人類の後を襲(おそ)って地球を治めたほうが地球の全生命系の未来にとっては幸いというものである。しかし、願うらくは、われわれ現生人類にもまだ精神的進歩の可能性がありますように。

   自戒をこめて: たかが人間の分際(ぶんざい)で驕(おご)り高ぶってはならない。たかが人間の分際で貪ってはならない。たかが人間の分際で知者ぶってはならない。たかが人間の分際で何ものをも支配してはならない。たかが人間の分際で身勝手をしてはならない。人間に相応(ふさし)いのは聖なる本質に対する感謝と祈りだけである。

   今や、環境的、身体的、精神的に、われわれの本質が危機的状況を迎えているのである。今や、いつ人類がそのカタストロフィーを迎えてもおかしくないほどに、われわれの本質が危機に瀕(ひん)しているのである。本質がその終局を迎えてしまえば最早われわれ人類の回復の望みは絶たれてしまう。精神がその本質的方向性を見失ってしまえば実質的にわれわれ人類にとって全ては終わるのである。

  人は誰も精神的な幸せを求めなければならない。精神的幸福においてのみ全てが清らかに調和する。人の真の幸せは精神的充足の中にある。刹那的せつなてきな享楽きょうらく、快楽、自己満足の中に真の(本質的な)喜びはない。また、精神的な幸せの追求の中にのみ人類存続の希望もある。



  …なぜといって、私たちの欲求を最終的に満足させてくれるのは、結局のところ質的な価値だけだからだ。

     ゲオルク・ジンメル



  世界中に蔓延(まんえん)してしまった本質不在という名のニヒリズムを克服しなければならない。

   一人一人がその命の真実(本質)を十分に生きるためには、精神(本質)的に統合された全一調和世界が必要なのである。



  ひとつの要素が、ある有機的連関のなかに完全にとけこむようにして、その連関の自己充足性を分かち合い、かつ同時に、まったく別の生がその要素に入りこんでくるための架かけ橋となりうること、そして一方の全体性が他方の全体性を、どちらか一方が他方によって引き裂かれることなしに、捉とらえるための手がかりとなること―――これこそ、人間の世界観、世界構成におけるもっともすばらしいことだ。

     ゲオルク・ジンメル



  貪欲、またそれとならぶ偏見、この二つの悪が人間の判断の中に巣くうところでは、社会の最も堅固な中核であるべき正義というものが、たちまちのうちにすっかり崩壊し去ります。

  あそこでは、貨幣の使用全廃とともに貨幣にたいする欲望が完全に消滅させられ、それ以来、なんと多くの煩雑はんざつな重荷がかたづけられ、なんと多くの悪の穂が根こそぎ抜き取られてしまったことでしょう。詐欺さぎ、盗み、強盗、争い、…殺人…

  ですから私は、私有財産制がまず廃止されないかぎり、ものが、どんな意味においてであれ平等、公平に分配されることはなく、人間生活の全体が幸福になるということもないと確信しております。それが残存するかぎり、人類の大多数を占める最善の人々のあいだには貧困と辛苦と心配という避けられぬ重荷がいつまでも残るでしょうし、…

   トマス・モア 『ユートピア』より



If I can stop one heart from breaking,
I shall not live in vain;
If I can ease one life the aching,
Or cool one pain,
Or help one fainting robin
Unto his nest again,
I shall not live in vain.

Emily Dickinson



INFANT JOY

“I have no name:
I am but two days old.”
What shall I call thee?
“I happy am,
Joy is my name.”
Sweet joy befall thee!
Pretty joy!
Sweet joy but two days old,
Sweet joy I call thee:
Thou dost smile,
I sing the while,
Sweet joy befall thee!
 
William Blake





  祈りのなかでは、下界の、人間の沈黙の領域が、天上の神の沈黙と結合するに至るのだ。 かくて下界の沈黙は、天上の沈黙のなかで憩うのである。

 マックス・ ピカート 『沈黙の世界』より



  本質的祈りの無い心、本質的祈りの無い家庭、本質的祈りの無い社会、本質的祈りの無い国家、本質的祈りの無い世界は危(あやう)い。



     2003.06.20



  言語は一つの生である。 …言語が生きるのは、沈黙によってである。わたしたちが他者に投げかけるすべてのものは、この大いなる沈黙の国において芽生えたものである。 …哲学とは、<働きつつある言語>なのである。

  哲学とは、沈黙と言葉を互いに転換することだから。「この…まだ沈黙している経験を、その固有の意味において、純粋な表現にもたらすことが重要だ」。

   働いている世界を、一貫性のあるものとして、その機能において現前するがままに考察する哲学では、本質は躓(つまづ)きの石にはならない。こうした哲学では本質は、働いている本質、機能している本質として、本来の場所を占めているのである。  …、働きつつある本質は働きつつある言葉の背後にある。これは、意味を所有するよりも、意味によって所有される言葉であり、意味について語るのではなく、意味そのものを語る言葉、意味に従って語る言葉、意味に語り出させる言葉、わたしのうちで自らを語る言葉、わたしの現在を貫つらぬく言葉である。

メルロ=ポンティ



  もはや人類全体がすっぽりと包み込まれてしまったこのコマーシャリズムから抜け出さないかぎり、人類の本質への回帰はありえない。非本質的な競争と搾取(さくしゅ)と虚偽と無駄と汚染と悲劇が絡からまりあう欲望の坩堝るつぼ、コマーシャリズム。



History moves in a logical direction. ――History works through people and we have availed ourselves to history to work through us. 
 
      STEVE BIKO



  自然とは単なる対象ではなく、認識のうちで意識という相手と対面する存在ではないからである。自然という対象は、人間が立ち現われた場であり、人間が生まれるための条件が少しずつ形成され、やがてある瞬間にこれが一つの実存として結ばれた場であり、人間を支え続け、人間に素材を与え続けてきたものである。

    メルロ=ポンティ


  自然に対しては―――人類がそれを単なる延長ないし対象と考え、自らの欲望追求のための手段として一方的に利用し始める前の、自分を生み育んでくれた母なるものとして寄り添って生きてきた頃の本質的関係に出来るだけ近づけていくこと。 また、人間相互の関係としては―――あらゆるレベルの自己中心的思考を乗り越えて、全一的な絶対平等性を一人一人の意識において、かつまた地球社会的なシステムとして確立・構築していくこと。 自己および自然に対する誤った認識から多くの災いが生じる。また、反本質的社会システムから多くの悲劇が生じる。



     2003.06.21



  観念アイデアの歴史は、過誤の歴史です。しかし、あらゆる過誤を通じて、それはまた、行為が徐々に浄化される歴史でもあります。よき秩序の発展に進歩が見られるとき、そこでは、意識的に心にいだかれるような諸観念の働きがその力を増し、それによって、行為が野蛮への逆行から守られているのがわかります。このようにして、プラトンが次のようにいったのは、正しかったことになります。「世界の――すなわち、文明的秩序の世界の――創造は、力に対する説得の勝利である。」

  ホワイトヘッド 『観念の冒険』より



  個人主義的自由競争による欲望追求を中心とした現実世界を、全一調和的本質展開に基づく理想世界へと再構築していく。結局のところ、全一調和世界の実現が、個人や社会や国家のみならず、人類全体の、さらには地球生命系全体の存続のための最高最善の戦略なのである。あらゆる自己(部分)中心的戦略、あらゆる自然淘汰的競争主義は、この全一連関的一体世界では愚かな戦略であり、反本質的な観念形態にすぎないのである。



  そうだとすれば、思慮が浅い者はひとり残らず、欲の虜(とりこ)はひとり残らず、要するに、ならず者は一人残らず、奴隷なのだ…
 
  キケロ 「パラドックス Ⅴ」 より



  西洋近代における最大の功績の一つである自由平等の高貴な観念が、現実世界においてその実効性を獲得していく過程において、いつしか人間の盲目的個人的な欲望と結びついていく。そしてそれはやがて人類にとって最大の災厄をもたらすものへと変質してしまった。もしも自由平等思想が、人間の全一的な本質活動と結びついていたならば、現代は遥はるかに素晴らしい世界になっていたことだろう。自由平等思想が、盲目的で利己的な欲望 (つねに思慮深く制御される必要性のある衝動) と結びついてしまったばかりに、せっかくの人類の思想的宝が台無しにされてしまった。 …しかし、いつまでも嘆いてばかりはいられない。今や自然淘汰的な欲望追求的競争主義と結び付けられてしまった、そしてまた、利己的人間によって恣意的しいてきに悪用され続ける自由平等観念のその不幸な運命を救わなければならない。人類の名誉と未来の命運をかけて、自由平等思想のその本質を救わなければならない。



  被造物のただ一つでもが、つつしみ深い、そして感謝深い人にとっては、摂理(せつり)を感じさせられるに十分なのだ。

      エピクテトス


  美そのものを観みるに至ってこそ、人生は生き甲斐があるのです、いやしくもどこかで生き甲斐があるものならば。

   プラトン  『饗宴』より



     2003.06.22



  普遍的法則などは到底求め難い。風土とは極言すれば地球上のそれぞれの土地に固有な、唯一のものなのである。

    和辻哲郎  『 風 土 』



 ..........the nation-state is no longer workable as an effective unit of governance. It is too big for the problems of its local populations and, at the same time, confined by concepts too narrow for the problems of global interdependence.

FRITJOF CAPRA THE TURNING POINT



 Function of Utopia is to make the day-dream concrete............Utopia will reconcile the individual with the universal interest. True Utopia distinguished from idle (unmotivated) optimism.

 Progress in history is achieved through the interdependence and interaction of facts and values. The objective historian is the historian who penetrates most deeply into this reciprocal process.

    E. H. Carr



  まず本質的な価値観を持たなければ本質的な地球社会を築けない。本質的な価値観を推進力として初めて、本質的な社会環境を構築していくこともできる。本質的価値観によって統合されたユートピア実現への祈り…



 ...........he has the capacity to project his vision into the future in such a way as to give him a more profound and more lasting insight into the past than can be attained by those historians whose outlook is entirely bounded by their own immediate situation.

 Every human being at every stage of history or pre-history is born into a society and from his earliest years is moulded by that society.

E. H. Carr



  本質的価値観の崩壊したコミュニティーは、やがて浪費と混乱の末に荒廃する。

   現代世界における本質価値と経済価値の鋭い対立!

  われわれの世代の愚かさの付けを、一体いつ、誰が、どのような形で支払わされることになるのだろうか。この全一世界では、一度失われてしまったバランスの帳尻(ちょうじり)を誰かがどこかで合わせなければならない。一人の浪費の付けは他の誰かが、またこの世代の浪費の付けは未来世代の誰かが、必ずどこかで支払わなければならない。この自然の摂理(せつり)を理解して、未来世代によりよい社会を築き伝えていく知恵と勇気と思い遣やりがあるかどうか、われわれは今厳しく問われている。欲望と享楽に眼の眩(くら)んだ能天気(のうてんき)なわれわれの世代の愚行が、やがて人類全体を滅びの沼地に引きずり込んでしまわないように祈るばかりである。



     2003.06.23



  実存の基本的感情: 今、ここに、実存していないのではなく、このように確かに実存していることに対し絶対感謝。そして、このあるがままの現実世界から何一つ差し引くことなくその全てに対して絶対肯定。 そして、この実存の本質展開と、本質社会実現の祈りへの誘(いざな)い…  現代の、政治的経済的精神的自然的環境の,その非本質的状況にもかかわらず、それをそのまま深い感謝の念を持って受容する。いかに所与しょよの世界が悪い状況にあろうとも、その世界の中に今このように実存しつつあるという、この無上の僥倖(ぎょうこう)の前に感謝しないではいられない。そして、次の一瞬にあるいはこの実存性を失うとしても、やはり今のこの瞬間の実存に感謝しないではいられない。この実存の中で、この実存者は、全一的に世界と関わり、他の実存者と関わりながら、この実存を主体的自覚的に展開しつつある至福を味わうことができているのだから。無(非在)の上のこの純粋実存性は、この実存者には他の何ものにも換えがたい無上の宝、無上の絶対価値に他ならない。この実存の絶対性に比すれば、他のいかなる物質的所有の喜びもまったく色褪(いろあ)せてしまう。この実存がなければこの実存者にとっては何も無く、何も始まらないのだから。そして、このような絶対的実存性に純粋に意識を集中して生きることほど深い喜びは無い。これこそが無上の至福、空手(くうしゅ)にして無限豊饒(むげんほうじょう)、他に比類なき本質の充満…  このように、その基底(きてい)において実存はそのまま本質充満である。孤独の中においてすら実存は実存者にとって絶対至福である。そして、この実存の純粋至福に比較し得るのは、真の愛によって結ばれた実存者と実存者との間に生まれる本質的関係だけである。



  悲劇的な意味においては、生存はそれ自身によって聖なるものであり、だからおまけに巨大な苦悩でさえ是認するくらい充分に神聖なものなのである。 

    ジル・ドゥルーズ


  尊敬は平等な存在同士の関係である。正義はこの根源的な平等を前提としている。

   エマニュエル・レヴィナス


 The great problem for tomorrow, as for today, is to create a mass civilization of high quality.

Fernand Braudel ‘ A History of Civilizations’ translated by Richard Mayne



  ここでユートピアとは、普遍的なものでも一般的なものでも形式的なものでも固定的なものでもなく、具体的な自然的文化的社会的風土から生み出され、さらなる本質充満に向かって協同的に生成されつつある本質的コミュニティーである。それゆえ、ユートピアは風土的であり、地域社会的であり、常に成りつつあるものであり、個別的である。しかし、個別的でありながらも同時に全一的であり、地球社会全体との連携の中で息づく地域社会である。それでは、そのようなユートピアは従来の地域社会とどこが違うのか?その求めるものが違うのである。従来の地域社会では、欲望追求を主体とした個人による自由放任の欲望充足が許されていたが、ユートピアでは全一的な本質展開が協同的に求められる。それゆえ、ユートピアでは個人的な恣意しいを超えて、全一的な精神性の確立が一人一人に求められている。すなわち、そこには個人的欲望充足社会から全一的本質展開社会への移行が認められるのである。つまり、ユートピアは住民のより高い次元の精神性を前提として形成されるコミュニティーであり、またそのようなコミュニティー同士の地球的集合体であり、統合体なのである。



     2003.06.24



  私はもう疑わない。奇跡のような幸福、今朝のことだ。私ははじめてはっきりと恩寵(おんちょう)の経験をした。恩寵の経験、この言葉はおそろしい。だが、まさしくそれなのだ。 …これはまさにひとつの誕生である。すべてが別のものになった。                            

   実在は神秘にほかならず、神秘としてのみ理解可能である。自我についても同様である。

    マルセル



  ユートピアの意味(優先性の問題として): この世に全一調和状態( ユートピア )を実現し、それを保つことが最終目標なのではなく、それはあくまでも、一人一人の実存者が、自らの本質を展開していくための最も望ましい環境として求められるものなのである。われわれの生における究極的な目的は、自らのいのちの本質を自由に展開していくことである。いのちの本質を自由に展開することによって、心が満たされ、時が満たされ、命の真実が充たされ、世界の本質が輝くのである。

  ところで、実存者がその本質を展開するためには、時々刻々と立ち現われてくる眼前の未来へと自らの本質を選び取っていかねばならない。選び取られるべき本質の形態(けいたい)は無限にあり、その無限の本質形態の中から一つを、自由に選び取っていかなければならないのである。このように、本質展開には実存者の主体的な本質選択が不可欠である。そして実存者が主体的に本質を選び取るためには、まず自らの内なる自己中心的な穢(けが)れを浄化して、本質を選べるレベルにまで自らの精神を高めていく必要がある。そしてその過程で、精神がその本質を自由に展開していくための最も望ましい環境として全一調和世界すなわちユートピアが求められるのである。しかし、それはあくまでも、実存者がその本質を自由展開するための最も望ましい条件としてであり、ユートピア建設それ自体が最終目的としてあるのではない。それは、健康な体が、人間の自由な活動に必要であるのと似ている。健康な体を維持することが最終目的なのではなく、健康な身体によって自由に活動することが目的であり、その活動をより完全なものにするために健康が必要なのと似ている。

  しかし、いかなる条件下においても実存者の本質展開は可能である。もしも、ユートピア建設の名の下に実存者の本質が侵害され犠牲にされるとしたらそれは本末転倒もはなはだしいといわねばならない。どこまでも、実存者の自由な本質展開が最優先されなければならないのである。そのためにこそ地球社会全体が、地域社会レベルで全一連関的に再構築されなければならないのである。つまり、どこまでも本質実存のためのユートピアであり、それはあくまでも実存者が自らの本質を展開していくための最善の場として求められているものなのである。



  恐怖が感じられるのは、私が本当には生きなかった場合、すなわち私が決断せずしたがって自己という存在を獲得しないでおわった場合に限られる。  

    ヤスパース



 What matters is our attitude toward facts rather than the facts themselves.

  VIKTOR E. FRANKL



  欲望は世界を対象化し手段化してしまう。しかし世界は対象や手段などであったことなど一度もない。世界は本質そのものなのだ。そしてその本質の中に一切が包摂(ほうせつ)される。一切が本質であり、本質は一切なのだ。本質がなければ何ものもこの世に存在し得ない。本質は一切の母なるものであり、自己そのものでもある。そのような本質そのものであり自己そのものでもある世界を、本質を見失った末梢的(まっしょうてき)欲望が単なる対象へと貶(おとし)めて手段化してしまう。そしてそれを貪(むさぼ)り続けて、本質を損ない自己自身を損なう。このようにして、現代の経済至上主義世界は世界という本質を汚し続け、自己自身を汚し続けている。



     2003.06.25



  人間をふたたび沈黙の世界との連関(れんかん)につれもどさねばならない。この沈黙の世界のなかでは、多くの対象がおのずから秩序づけられる。沈黙の広大な世界のなかで、対象は分散し、そして平衡(へいこう)を取りもどすのである。

  真理のまわりには一種の光輝(かがやき)がある。この光輝は、真理がどこまでも拡がり行こうとすることの証拠なのである。まことに、あらゆる光輝は、延び拡がろうとするのだ。

 マックス・ ピカート 『沈黙の世界』より



 When the god is not acknowledged, egomania develops, and out of this mania comes sickness.

  C.G.JUNG ‘Alchemical Studies’

 The ideal of spirituality striving for the heights was doomed to clash with the materialistic earth-bound passion to conquer matter and master the world.

  C.G.JUNG ‘Aion’

  

  何よりもまず世界を汚さないこと、そしてそのバランスを崩さないこと、そして支配しないこと。そして、利己的な情熱の奴隷にならないこと。そのために本質的な眼差しを持つこと。真の自己を生きること。



 Every one of us human beings has two minds. One is totally ours, and it is like a faint voice that always brings us order, directness, purpose. The other mind is a foreign installation. It brings us conflict, self-assertion, doubts, hopelessness.

 Carlos Castaneda ‘The Active Side of Infinity’



  本質実存について: 本質実存は何を実存するのか。―――真の悦びの充満であり、真の存在の充満であり、真の知恵の充満である。そして、これらのいずれにおいても、自我の硬い殻は打ち砕かれており、全一的な浄らかさが浸透(しんとう)している。そして、真の悦びの充満を実存することによって、自らの心が悦び、人々の心が悦び、犬や猫や小鳥や魚やその他のさまざまな生き物たちが悦ぶ。世界は悦びに満ち溢あふれる。また、真の存在の充満を実存するとき、空は青く輝き、水は清く澄み渡り、大気は甘く香り、大地は豊かな緑に覆おおわれる。世界は聖らかに輝き渡る。一方、真の知恵の充満を実存するとき、自らの精神は広大無辺の法界ほっかいに住し、人々の心は精神の光を浴び、世界は精神の光に包まれる。そして、現実のさまざまな問題が一つ一つ消えていく。本質実存者が増えればそれだけ世界はユートピアに近づいていく。人々の意識は高まり、本質理解に至り、やがて本質を実存し始める。世界は本質に満ち溢れ、生きとし生けるもの、在りと在るものが生き生きと輝き始める。そしてやがて、人の世は真の喜びで充満し、真の存在で充満し、真の知恵で充満する。人々は皆、本質の充満を生きるようになる。本質が本質に共鳴し、悦びが悦びに共鳴する。そして人はだれも、命の真実を満喫(まんきつ)する。



  すなわち、死に直面しても本質的であり続けるようなことがらは実存しつつ為され、一方、死に直面すれば崩れ去るようなことがらは単に現存在にすぎない、というわけである。                       

    ヤスパース



     2003.06.26   



  僕は決してここで、知能の働きも、意識の勝利も貶(けな)す心算(こころづもり)はない。僕は、澄んだ知能は尊崇(そんすう)する者だ。 ただ、その本質を失ったら、一人の人間に何の値打があるだろう?

生命は状態に依よるよりは、方向に依って表現さるべきである。    
      
  サン・テクジュペリ 『 戦う操縦士 』



  世界を真面目に考える者は皆狂人ではなかろうか。われわれは皆狂人であるべきではないであろうか。                        

   馬鹿げたことを試してみる者だけが、不可能事を克服することができるのである。

  ウナムーノ 『ドン・キホーテとサンチョの生涯』



  いつまでもアメンボのように物の表面にばかり住していてはならない。わたしたちも時には水澄ましのように水中にも潜ってみるべきである。また、時にはドジョウのように水底にも住んでみるべきである。また、時にはトンボのように水中に住んだ後に空を飛ぶものとなるべきである。あるいは蝉のように土中に住んだ後に空を飛ぶものともなるべきである。さらには、コンドルのように空高く舞うものとなってみるべきである。また、雁のように土地から土地へと渡るものとなってみるべきである。そして、ついには光のように宇宙に遍満(へんまん)するものとなるべきである。そしてその果てに、無にして一切なるPLEROMAに住して、清浄なる精神へと回帰すべきである。



 Everything now depends on man: immense power of destruction is given into his hand, and the question is whether he can resist the will to use it, and can temper his will with the spirit of love and wisdom.

C.G.JUNG ‘Answer to Job’



  この世のあらゆる現象は無の上の立ち現われではなかろうか。あらゆる言葉、あらゆる思考、あらゆる精神は沈黙の上の立ち現われであり、あらゆる音と声は寂静(じゃくじょう)の上の立ち現われであり、あらゆる光と色彩は闇黒の上の立ち現われであり、あらゆる時間は永遠の上の立ち現われであり、あらゆる空間は空(くう)の上の立ち現われであり、あらゆる命は彼岸からの立ち現われであり、そして、これらすべてのものが立ち現われてくる淵源(えんげん)である沈黙も寂静も闇黒(あんこく)も永遠も空(くう)も彼岸も、そのことごとくが無そのものへと融合して全きものの充満(PLEROMA)となる。それゆえ、わたしたちが、小鳥たちの喜び歌う声や、幼子たちの純真な笑顔や、森の中の柔らかい一筋の木漏(こも)れ日や、過去の笑みを誘う小さな思い出の一こまや、路傍に咲く小さな花のかすかな風の揺らぎなど、この世にありふれたそんなものとの出合いにすらふと至福を感じたりするのも、それと意識することもなく、それらのささやかな情景の中にも、あの遥か彼方なる全きものの充満を感じ取っているからではなかろうか。日常的、実際的な意識を超えてふと本心に立ち返るとき、そのような小さな情景の中にも、あらゆるものの中に潜在する母なるものを、すなわち聖にして無なるPLEROMAの幽(かす)かないぶきを感じ取るのではなかろうか。

   このわれわれの全一世界には絶対他者など在り得ない。



     2003.06.27



  永遠に一なるものを分割するな!これこそは君の本質であり、行為と行為に関する知識にとって欠くべからざるものであり、もしそれを欠けば、これらは壊滅(かいめつ)するのほかないであろう!

 シュライエルマッハー  『独白』より



  しかし、天下は天下の天下であって、堯(ぎょう)の天下でもなければ舜(しゅん)の天下でもない。

  天下の人間は全部が一人の人間なのです。すべての人間が一人の人間であるこの天下に生まれたからには、直耕(ちょっこう)して天真(てんしん)とともに衣食の道を得るべきでしょう。すべての人間が一人の人間であるこの天下で、だれを治めるといって王になり、だれに対して王になるというのですか。あなたは耕さずに貪食(どんしょく)して天道(てんどう)を盗んでいる。だから天下に盗みが始まる張本人です。

  自然宇宙の生々するはたらきとともに直耕し、みずから生産した穀物で食を安んじ、貪食を知らず、与えるが奪うことを知らぬ人物こそ夫子(ふうし)というのである。 

     安藤 昌益



 ‘What are we doing ? What is our mission ? It’s simple; we are working for a better world for all people. It’s that simple. Too many have been dispossessed of their heritage, and we have banded together in brotherhood so as to do something about it. What do you think of that ? ’

RALPH ELLISON ‘ Invisible Man’



  現在は過去の集積であり、未来は過去および現在の集積である。 

  ところで、大衆(現存在)は現在に惰性的流行的に存在し、一方、実存者は、現在の社会システム・習慣・文化すなわち過去の集積を再吟味して、より良き未来へと超出(創造)する。 大衆は単に現在的(過去からの惰性・無自覚的)であるにすぎず、一方、実存者は過去現在未来に通時的に、かつ創造的に生きる。 

  また、本質実存者は超時間的な永遠本質を実存し、ペシミストは人間的時間から脱落して虚(むな)しく生を漂(ただ)よう。 



  これに対して一つの未来を、彼自身の未来を信じることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。

 フランクル  『 夜と霧 』より



  権力者達によって恣意的(しいてき)、作為的(さくいてき)に操作されてきた虚構(きょこう)の現実社会に取り込まれて操(あやつ)り人形のように生きる大衆。 一方、そのような虚構世界に誑(たぶら)かされることなく、本来あるべき真実世界に目覚めている実存者。 このように、現実世界(および自己自身)に対する認識のあり方とその生きる姿勢が、はからずも世の人々を大衆(現存在)と実存者とに振り分けてしまう。



 Private profits are being made at public costs in the deterioration of the environment and the general quality of life, and at the expense of future generations.

 The success of the whole community depends on the success of its individual members, while the success of each member depends on the success of the community as a whole.

 But if the community is aware of the interdependence of all its members, diversity will enrich all the relationships and thus enrich the community as a whole, as well as each individual member.

FRITJOF CAPRA THE WEB OF LIFE




     2003.06.28



  かたつぶりそろそろ登れ富士の山    一 茶



  現代人の生活は、すっかり野放図(のほうず)に流れている。野放図さがいたるところに侵入している。行動にも、思考にも、公的生活にも、私生活にも。そこから、芸術の退廃(たいはい)が生じる。もはやどこにも、安定が見られない。

  人類は、ひと揺れするごとに堕落だらくしている。このさまでは、どこまで落ち込んで行くのだろうか。

  永遠よりの光によって、生きる理由だとか働く理由だとか言ったものでなく、そうした理由を求めずにすませられるほどの充実が与えられますように。 

    シモーヌ・ヴェイユ

                                 

  本質に根付かない自由は放恣(ほうし)に流れる。それゆえ現代のように本質が忘れ去られた時代では、人々の自由はすべてわがままでしまりがなく、過去の過ちに対する気付きと反省もなければ、未来に対する気遣いと思案もない。存在に対する感謝も、実存に対する祈りもない。あるのはただ感覚的享楽への卑しいまでの貪(むさぼ)りだけだ。



  直観は精神そのものだ、ある意味で生命そのものだ。知性は物質を生み出した過程にまねた過程がそこに切りだしたものにすぎないのだ。 ――精神的生命の統一が明るみにでる。その統一をあるがままに知るためには直観のなかに身をおいて、そこから知性に進むほかない。知性からはけっして直観に移れないであろう。

  そのようにして哲学は私たちを精神的な生にみちびきいれる。      

   ベルクソン 『創造的進化』より



  ニーチェがトゥリンにあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打むちうっている馭者ぎょしゃを見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。 …ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。

  そして、私が好きなのはこのニーチェなのだ、ちょうど死の病にかかった犬の頭を膝にのせているテレザを私が好きなように私には両者が並んでいるのが見える。二人は人類が歩を進める「自然の所有者」の道から、退きつつある。    

 ミラン・クンデラ 『存在の耐えられない軽さ』より



  大自然を大自然に返し、本質を本質に帰す。そして、必要最小限のものを自然より借りて、真の知恵によって人類社会を豊かに再構築していくユートピア。



  死を意識しなければ、すべては当り前のつまらないものだ。世界が測(はかり)知れぬ神秘なのは、ひとえに死がわれわれの背後にしのび寄っているからだ。

 カルロス・カスタネダ 『未知の次元』より



 You can analyse the past but you need to design the future.

 The new millennium needs people who want to do better. Thinking has been and will continue to be the key tool for designing a better future. Thinking can be improved and made more constructive. It can be done. But only if we start to do it. A few people have started.

EDWARD DE BONO



  現代の大衆は謙虚に過去に学ぶこともなく、美しい未来を創造することもない。ただ、本質(大自然の恵み) と、命の時間を図々しくぜいたくに食いつぶすだけ。 歴史を顧かえりみれば昔の大衆はいまより遥はるかに自然への恩を弁わきまえ、慎(つつま)しかった。



ここでは昼がしばしば夜のように荒涼として
夜は昼のように色褪(いろあ)せてなにかを待ち伏せているが
あそこではあらゆるものが生きいきとして、きらびやかに輝いているだろう

 H.V. ホーフマンスタール


玫瑰(はまなす)や 今も沖には未来あり   中村 草田男




     2003.06.29



  驚くばかりの人類の技術的偉業(いぎょう)。そしてそれに劣らぬ社会運営の無能ぶり。この落差こそ、人類の病のいちじるしい特徴である。

   ジョン・ダンが言った「聖なる不満」こそ社会改革者、芸術家、思想家の本質的原動力である。

  責任感の消失。それは権威(けんい)への服従がもたらす最大の産物だ。

  アーサー・ケストラー 『ホロン革命』より



  個人として完結しているものはなく、家庭内で完結しているものはなく、企業として完結しているものはなく、地域で完結しているものはなく、地方で完結しているものはなく、国で完結しているものはなく、民族や人種で完結しているものはなく、人類で完結しているものもない。すべてのものはどこまでも一体的であり、相補的(そうほてき)である。それゆえ、単に少子化問題として、あるいは単に家庭内暴力問題として、あるいは単なる失業問題として、あるいは単なるエネルギー問題として、あるいは単なる地方ないし一国の問題として、あるいは単なる地球環境問題として別々にその対策を考えるのではなく、それらの問題すべてを地球社会システムないし地球社会構造の問題として統合的全一的に扱う必要がある。そしてそれらを地球社会的見地からまったく新たにグランドデザインし直さなければならない。現代世界にあってはもはや単なる部分的問題などはありえないのであり、すべてを地球的人類的生命系的問題として再構築(さいこうちく)していかなければならないのである。これからは一人一人の人間が意識的にそのような全一的統合的思考習慣を養っていかなければならない。過去と現在にとらわれた単なる歴史的現実的部分的な思考習慣の枠組(わくぐみ)を超えて、未来をも包括的(ほうかつてき)に志向する全一統合的思考によって新しい理想的地球世界を生み出していかねばならない。われわれ現生人類にはまだそのような潜在能力があると信じたいものである。



  僻村(へきそん)といえども、われわれの風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業はどのような人格としてとらえられねばならないか、独占資本のあくなき搾取(さくしゅ)のひとつの形態といえば、こと足りてしまうか知れぬが、私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、私のアニミズムとプレアニミズムを調合(ちょうごう)して、近代への呪術師(じゅじゅつし)とならねばならぬ。

石牟礼道子 『苦海浄土』 わが水俣病 より



  人類にとってかけがえのない地球が子孫を不具にするかもしれないような物質で汚染されているのに、経済的進歩、高い生活水準について語ることにいったい意味があるのだろうか。サリドマイドの悲劇の教訓は忘れられたのだろうか。

  E.F.シューマッハー 『 スモールイズ ビューティフル 』より



  真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし 

   田中正造 



  だが、真理の束縛は受ける。真理に仕つかえてこそ自由は完全なものとなる。   
            
 E.F.シューマッハー 『スモール イズ ビューティフル』より



  一番いい地域社会を地域住民みんなで考えていく。単に個人的な立場や企業的立場から考えるのではなく、個人が全体の立場から、企業が全体の立場から考えていく。正しい答えは全一思考の中にのみある。部分性を越えて全一的統合的に未来を構築していく。そして、全一的な立場から個人が、そして企業が自己変革していく。 さらには、民族が、国家が自己変革していく。そしてついには人類みんなで理想的な地球社会を実現していく。

      

  天は汝等を招き、その永遠とこしへに美しき物を示しつゝ汝等をめぐる、されど汝等の目はたゞ地を見るのみ

  この光は智の光にて愛これに満ち、この愛は真まことの幸さいはひの愛にて悦びこれに満ち、この悦び一切の楽しみにまさる

   ダンテ 『神 曲』



  わたしの内なる・・・人にとっては被造物の味ではなく、神の賜物たまものの味がするのである。私の最も・・内なる・・・人・にとっては、すべての被造物は、神の賜物の味ではなく、永遠の味がする。

   エックハルト説教集より



  私は実際、私の全本性の自覚のうちに生きている。いよいよ本来の私になっていくこと、これが私の唯一の意志である。

  シュライエルマッハー 『独白』より



     2003.06.30



  じつにこの世において、自己の本性の獲得よりも卓すぐれたものはなにもない。
                                
   シャンカラ 『ウパデーシャ・サーハスリー』より



  ひとびとの自ずからなる、さりげない愛と慈しみの現われは、このわれわれの生命世界を明るく照らす無上むじょうの宝である。そのような無上の宝に満ち溢あふれた社会としてのユートピア。そしてそのようなユートピアを支えるものとしての蓄積ちくせきされた本質的な知恵。



  この世の悪の根源は利己主義すなわち本質に対する無知であり、そこからこの世のあらゆる問題が生じてくる。そして現代のような経済至上主義世界においてそれは典型的に所有欲の形で現われてくる。それは自然(経済価値として)および人間(肉体的および心理的欲求を満たすための手段として)に対する所有欲として、また、その所有を保証する手段である金銭欲(利潤追求として)、あるいは端的(たんてき)に暴力として現われる。利己主義者は自らの欲望充足のためにこの世のあらゆるものを手段とみなし、それらを所有しようとする。それゆえ、現代においては、最も所有している者が最も利己的な人間であり、同時に、もっとも本質に対して無知な精神的野蛮人なのである。ところで、現代のような経済優先世界では、人々は生活の自己防衛のためにある程度利己的にならなければ生きていけないという状況下にあることも事実である。そのような自衛的利己主義は現代にあってはある程度(消極的に)認めていかなければならないと思われる。しかし望むらくは、誰一人として利己的になる必要のないユートピア実現への意欲を共に培(つち)かっていきたいものである。



  祈りとは、人生のいろいろな事実を至高しこうの観点から思いみることだ。真理をまのあたりにして歓喜にふるえる魂の独白だ。おのれの業を良しと宣のたもう神の霊だ。ところがある私的な目的を実現する手段としての祈りは、卑劣であり盗みにひとしいものだ。そういう祈りをすると、自然と意識とに二元性が住みついていて、統一性がそなわっていないということになってしまう。人間は、神と一体になると、とたんにものごいをしなくなる。すると彼は、いっさいの行為に祈りがそなわっていることを理解するようになる。

 R.W.エマーソン



  この世には二種類の人間がいる。一方は自我の世界に生きるものであり、他方は自我じがの殻からが破れて真実世界に目ま見え、その真実世界に生きたいと願い、またそのように努めているものたちである。この世は圧倒的に自我世界に生きるものたちで占められ、真実世界に生きようとするものの数はまだまだ少ない。そして、この世の悪や悲劇や災いのほとんどすべては自我世界に生きるものたちによって引き起こされる。もしこの世界をより良いものにしたいと望むものは、自我世界に生きるものたちの自我の硬い殻を打ち破る手立てだてを講こうじなければならない。ユートピアの現実化にはそのための有効な手立てが不可欠である。それはどのようなものであり、それをいかに獲得していくか、十分思案してみなければならない。



  先のことを考えない愚かさがこの世界なのだ。

  わが友よ、時間と空間に支配された感覚の世界にいる限り、あなたには神や永遠が何であるかということは分からない。

  欲を捨て心安らげよ。すべての苦痛、迫害、戦争、争いなどの原因はひとえに所有欲にあるのだから。

  『 シレジウス瞑想めいそう詩集 』より



  自然環境問題、南北問題、人口爆発、飢餓問題、水問題、エネルギー問題、少数民族問題、都市化問題、教育問題、失業、人種差別、男女差別、犯罪、免疫力低下、環境ホルモン、老齢化社会、少子化社会、貧富の格差、自殺、過労死、宗教対立、テロ、武器開発、さらには戦争根絶の問題など、あらゆる種類の問題を総体的・統合的・社会構造的に解決する試みとしてのユートピア研究、ユートピア運動…



  人間が堕落(だらく)すると、つづいて言葉も堕落する。性格の素朴さと理念の尊さが二義的な欲望、――富、快楽、権力、賞賛を求める欲望、――の優勢によって打ち破られ、不実(ふじつ)と虚偽(きょぎ)が素朴と真実にとって代わるとき、…

  創造的な態度というものがあり、創造的な行為、創造的な言葉というものもありますが、これは、つまり、どんな習慣や権威けんいも表わさず、善と美に関する精神自身の認識から自発的に湧わき出てくる態度、行為、言葉のことです。

 R.W.エマーソン



  それ故に 最高の本質 と 最高に存在すること と 最高に存在しているもの即ち最高に実存しているもの、或は最高に自存しているもの とが相互に対する関係は、光 と 光ること と 光っているもの とが相互に対する関係と、全く同一なのである。        

 聖アンセルムス 『モノロギオン』



 How can we know the dancer from the dance?

  W.B. Yeats



  人間の自我が良くコントロールされている世界がユートピアなのである。逆に自我が抑止されていない世界では混乱と悪がはびこる。これはもうはっきりしているのだ、すなわち、この世の悪のすべてが我執に発しているということは。われわれの社会の根源の問題は人間の我執をいかにコントロールしていくかということである。そして、本質そのものが清らかに展開する地球社会をいかに実現していくかということである。そのためには我執の性(さが)を知悉(ちしつ)する必要がある。そしてそれを取り除くための手立てだてを講じていく必要がある。



己は自由な土地の上に、自由な民とともに生きたい。
そういう瞬間に向かって、己は呼びかけたい、
「とまれ、お前はいかにも美しい」と。

すべて移ろい行くものは、
永遠なるものの比喩(ひゆ)にすぎず。
かつて満たされざりしもの、
今ここに満たさる。
名状すべからざるもの、
ここに遂とげられたり。
永遠にして女性的なるもの、
われらを引きて昇らしむ。     
                          
 ゲーテ 『 ファウスト(二) 』より





  血のつながりよりも強い、精神的つながりに満ち溢あふれたユートピア!



     ・・・ホームページから転載 ・・・



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