『部分思考』から『全一思考』へ
人間社会の諸問題の根底に、わたしたち現代人の自己中心的で偏った『部分思考』が横たわっています。
部分思考は全体世界との本質的な関係を十分に考慮することなく、一方的な自己都合に合わせて思考を積み重ねていきます。
部分思考はそのスタート地点から真実を正しく反映しない歪んだ思考です。そのような、初めから歪んでしまっている思考の上にさらに歪んだ思考を重ねていくので、歪みはさらなる歪みを呼び、やがては手の施しようのない状態に陥ります。そして、まさにわたしたちの生きている現代世界がそのような状態にあるのです。政治的・経済的・自然環境的にさらに反本質的な方向に進行するばかりです。やがてこのような状態は間違いなく破綻をきたします。いくら小手先の調整を繰り返してみても、本質的な解決からは程遠いので、さらに混乱が複雑化し、結局、収拾が付かなくなってしまうのです。
一方、かつての日本の縄文・弥生の人々や、ネイティヴ・アメリカン、アボリジニ、インディヘナ(インディオ)、あるいはアイヌの人々などの考えには、全体世界との本質的な関係をも考慮に入れた『全一思考』が見られます。また、仏教の華厳思想や禅、空海の全体観や親鸞の自然法爾、中国の老荘思想、さらには現代のニュー・エイジなどの思想にも全一的思考を見ることができます。
わたしたちは、現代社会の部分思考による反本質的な状況を、それが手遅れになる前に、一日も早く全一的な思考法によって本質的かつ自覚的に乗り越えていかなければならないと思います。
部分思考は全体世界との本質的な関係を十分に考慮することなく、一方的な自己都合に合わせて思考を積み重ねていきます。
部分思考はそのスタート地点から真実を正しく反映しない歪んだ思考です。そのような、初めから歪んでしまっている思考の上にさらに歪んだ思考を重ねていくので、歪みはさらなる歪みを呼び、やがては手の施しようのない状態に陥ります。そして、まさにわたしたちの生きている現代世界がそのような状態にあるのです。政治的・経済的・自然環境的にさらに反本質的な方向に進行するばかりです。やがてこのような状態は間違いなく破綻をきたします。いくら小手先の調整を繰り返してみても、本質的な解決からは程遠いので、さらに混乱が複雑化し、結局、収拾が付かなくなってしまうのです。
一方、かつての日本の縄文・弥生の人々や、ネイティヴ・アメリカン、アボリジニ、インディヘナ(インディオ)、あるいはアイヌの人々などの考えには、全体世界との本質的な関係をも考慮に入れた『全一思考』が見られます。また、仏教の華厳思想や禅、空海の全体観や親鸞の自然法爾、中国の老荘思想、さらには現代のニュー・エイジなどの思想にも全一的思考を見ることができます。
わたしたちは、現代社会の部分思考による反本質的な状況を、それが手遅れになる前に、一日も早く全一的な思考法によって本質的かつ自覚的に乗り越えていかなければならないと思います。
"『部分思考』から『全一思考』へ" へのコメントを書く