人生の究極的目的
わたしたちは、この永遠の中で、常に正念を保って、自らのいのちの本質を転じるために、この世に生まれてきたのです。あるいは、自らのいのちを通してこの世の永遠本質を転じるために生まれてきたと言い換えることも出来ます。
ここで永遠とはこの世の一切万象の統合的状態であり、正念とは自己自身との自覚的な統合状態であり、自らのいのちとは38億年の長きにわたって引き継がれてきたこの具体的な生命活動であり、本質とは永遠の精髄そのものであり、転じるとは自らがこの世の万象と一体となって浄らかに変化していくことなのです。
而して、ここにあるのは結局、この世の全一的な真実を転じていくことだけなのです。永遠も全一的であり、正念も全一的であり、いのちも全一的であり、本質も全一的であり、転じることも全一的です。すなわち、わたしたちの人生において全一的でないものは本来何一つとしてないのです。ただ、わたしたちの自己中心的な妄想だけがその全一性を歪め、その歪んだ思い込みの世界に囚われてしまうのです。そこから諸々の間違いが生じてきます。
わたしたちはもっぱら、この世(大自然)の本質と一体となって、それぞれのいのちの全一性を、自己中心的な感情で歪めることなく、ただ淡々と転じていけばそれでいいのです。そこにいのちの無上の悦びもまたあるのです。
ここで永遠とはこの世の一切万象の統合的状態であり、正念とは自己自身との自覚的な統合状態であり、自らのいのちとは38億年の長きにわたって引き継がれてきたこの具体的な生命活動であり、本質とは永遠の精髄そのものであり、転じるとは自らがこの世の万象と一体となって浄らかに変化していくことなのです。
而して、ここにあるのは結局、この世の全一的な真実を転じていくことだけなのです。永遠も全一的であり、正念も全一的であり、いのちも全一的であり、本質も全一的であり、転じることも全一的です。すなわち、わたしたちの人生において全一的でないものは本来何一つとしてないのです。ただ、わたしたちの自己中心的な妄想だけがその全一性を歪め、その歪んだ思い込みの世界に囚われてしまうのです。そこから諸々の間違いが生じてきます。
わたしたちはもっぱら、この世(大自然)の本質と一体となって、それぞれのいのちの全一性を、自己中心的な感情で歪めることなく、ただ淡々と転じていけばそれでいいのです。そこにいのちの無上の悦びもまたあるのです。
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