No.1343  視座、および、本質について

  この世に視座は、大きなものから小さなものに至るまで無数に存在し得ます。例えば、永遠かつ無限かつ神秘的な超越的完全性を属性とする、超宇宙的で、完全エネルギー界的な、絶対本質視座に始まり、その完全エネルギー界から生まれた数多の宇宙一つ一つの宇宙的視座、また、わたしたちの生きているこの宇宙の中の一つ一つの素粒子、原子核、原子などから銀河、銀河団、超銀河団などに至るまでの無数の無機的視座、さらには、地球生命系の全生物種の全個体それぞれの生物的視座、そして、また、わたしたち人類一人一人の人間的ないしは精神的視座にいたるまで、あらゆるレベルのあらゆる個別的視座が考えられるのです。そして、それらすべての視座に通底している属性を、本質主義者は、この世の永遠普遍の本質と捉えて差し支えないと考えます。それでは、その永遠普遍の本質とはいかなるものでしょうか。それは全一性、すなわち、全てがそれぞれにこの世の中心である、と同時に、それらの全てがどこまでも全体世界と一体であり、それ故、本来、それぞれ一つ一つの個別的なものを全体から切り離して見たり考えたりする事ができないということなのです。また、全てが一体であるために、本来、全てのものがお互いに平等であり、また、常に相互に全一バランス状態を保ち続けようとするということです。そして、この全一性は当然、人間社会にも及ばなければならないということであり、そしてもしもわたしたち人間が、その意識と行動のあり方において、どこまでもこの世の全一的な本質に逆らって過剰な自己中心性を示しているとすれば、それはそのままわたしたち人間のこの世の本質に対する無知を表わしていることになるのです。
  さて、本質主義者の見るところ、人間の内なる最高本質である精神機能も本来どこまでも全一的であり、決してこの世の本質やいのちの本質を破壊するほどにも自己中心的なものではありません。それ故、現代社会におけるような異常なまでに過剰な自己中心性の表れは、人間精神の時代的な異常ないしは病と映ってしまいます。このような病的な状態は速やかに元の正常な状態に戻されなければなりません
  本質主義者は、人間社会においても常にこの世の本質状態、すなわち、全一的な調和状態を保とうとします。そして、そのために、わたしたち人間の意識の本質化と、社会のルールやシステムや構造の本質化を図ろうとし続けるのです。そして、その時、本質主義者の精神をその根底から支えるものも、この世のあらゆるものを統合的一体的に捉えようとする全一統合視座なのです

"No.1343  視座、および、本質について" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント[必須入力]