No.1917  本質主義社会における多数決原理について


  近未来の本質主義社会においては、多数決によって物事を決めるということがほとんどありません。本質主義社会においては、物事を決めるにあたっては、何事においてもそのもっとも本質的なあり方を求めて徹底的に住民間で話し合うことによって最良の結論を求めていくことが原則であって、その話し合いの結果、どうしても、どちらがより本質的であるとも決めかねるような複数の選択肢が残った場合に、最終的な決定方法として仕方なく多数決が採用されることがあったり、あるいは又、もともとそれほど本質的に重要でない物事を決める場合などに時として多数決が採用されたりする程度なのです。
  この世の本質やいのちの本質、あるいはまた、社会の本質や物事の本質などについて深く考えることもなく、そしてまた、それが社会にもたらす影響を十分に考えることもなく、唯単に、より多くの人間がそれを求めているからといって何事によらず多数決で決められた事柄をそのまま社会的決定事項として機械的に優先させ、結果的に人間の利己的欲望を最優先にするような愚かしい社会を世に蔓延らせ、かつまた、そのために大切な自然環境を破壊するのみならず、自然災害を頻発させるような甚だしい気候変動をももたらし、あるいはまた、人々の間に信じられないような貧富の格差をもたらすことによって社会に多くの問題や対立や混乱を誘発し、さらには、人間精神の著しい劣化をももたらすなど数多の由々しい本質破壊状況を世に招き寄せながら瓦解しようとしている現代の資本主義的民主主義社会における愚劣な行いや制度を本質主義社会ではでき得る限り排除しようとするのです。
  かくして、本質主義社会では、現代の資本主義社会に対する徹底的かつ根本的な反省から、どこまでもこの世の本質状態である全一調和状態ないしは全一バランス状態を、自然との関係においても、また、地球生命系との関係においても、あるいはまた、人間同士の関係においても全的に保つことを最優先に考えながら、急速にグローバル化が進んでいく地球社会全体を、それぞれの地域社会を中心に、人知の限りを尽くして、慎重かつ緻密に織り上げていこうとするのです。その時、この世の一切が、人間の本質的精神を介して全一的に統合されることになり、そのようなわたしたちの弛まぬ自覚的な努力によって、やがては、この地球上の隅々に至るまで、人類が生きるに最も相応しい完全調和の理想世界が広がっていくことになるのです。

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